2008年5月10日土曜日

「ゲリゲといふ蛙」に再会した


いわき市立草野心平記念文学館で「草野心平のカエル展」が開かれている。6月29日まで。

「カエルだけを書いているわけではない」。心平は「カエルの詩人」と呼ばれるのを好まなかった。が、カエル抜きでは心平を語れない。そこで正面から、「心平とカエル」ではなく「心平のカエル」を取り上げることにしたわけだ。

個人蔵の心平自画像(色紙の墨絵で、「ゲリゲといふ蛙」の題が付けられた、いわば戯画)が展示されていた=写真。1989(平成元)年5月にいわき市文化センターで「詩人草野心平とふるさと展」が開かれた。そのとき、この自画像が展示されていて、私は心平の内面がむきだしになっているのに強い印象を受けた。1988(昭和63)年11月12日に心平が亡くなったことによる、名誉市民追悼の「ふるさと展」だった。

没後1年余が過ぎた1990(平成2)年、「歴程」が2月号で追悼特集を組む。そのなかに「ゲリゲといふ蛙」の自画像を所有する心平のいとこ氏が自画像について言及している。それを今度読んで、遅まきながら「そうだったのか」と了解するものがあった。

「ゲリゲ」は、詩「ヤマカガシの腹のなかから仲間に告げるゲリゲの言葉」の「ゲリゲ」である。「ゲリゲ」は心平自身だったのだ。

 痛いのは当り前ぢやないか。
 声をたてるのも当り前だらうぢやないか。
 ギリギリ喰はれてゐるんだから。
 おれはちつとも泣かないんだが。
 (略)
 こいつは木にまきついておれを圧しつぶすのだ。
 そしたらおれはぐちやぐちやになるのだ。
 ふんそいつがなんだ。
 死んだら死んだで生きてゆくのだ。
 おれの死際に君たちの万歳のコーラスがきこえるやうに。
 ドシドシガンガン歌つてくれ。
 (略)

「死んだら死んだで生きてゆくのだ」。心平の代表的な詩句の一つである。それを戯画に託していとこ氏に贈った。いとこ氏は「その当座は、あまり深く見たり考えたりしなかった」が、あとになってゲリゲの詩を読んでびっくりする。「これだ。これはまさしく心平さんだ。心平さんの生きざまそのままだ。心平さんこそ、ゲリゲの辛抱と努力と友愛をもって、自分の天分を生かしきった人だ」と了解する。

20年近く前に見て引き付けられ、忘れがたく思っていた「ゲリゲといふ蛙」に再会して、なぜそうだったのかが、自分なりに分かった。「死んだら死んだで生きてゆく」、その思想がかみしもを脱ぎ、突っ立った髪の毛の下で裸になって渦巻いていたのだ。いとこ氏とはまったく理解が違っているかもしれないが。

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匿名 さんのコメント...

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