いわき市役所は昭和48(1973)年にできた。8階建てで、屋上に展望室があった。今はシンクタンクの未来づくりセンターが入居している。展望室の名残は固定されたスコープ=写真。結構な倍率(20倍)だ。
あるとき、スコープで大滝根山の頂上が見えるという話を聞いた。早速、確かめる。左右から沈み込む稜線のあわい、11時の方向にスコープを当てる。と、山頂に白く丸い物体が見えた。航空自衛隊大滝根山分屯基地(第27警戒群)、つまりレーダーサイトの施設の一部だ。間違いない、大滝根山は市役所から、平から見えるのだ――。感動した。
大滝根山は標高1,193メートル。阿武隈高地の主峰である。南東斜面からしみ出した水は、夏井川となって福島県浜通り南部、いわき市の新舞子海岸で太平洋へ注ぐ。私はその反対側、大滝根山の北西で生まれ育った。町を流れる川は福島県の中通り、阿武隈川へ注ぐ大滝根川だ。
物心づいたときに既に頂上にはレーダーサイトができていて、こぶ状の施設が2つ、肉眼でも町からはっきり見えた。この「こぶ」が大滝根山の景観を壊していると嘆く大人もいた。
いわきに根を生やした今は、毎日、夏井川を見て暮らしている。週末には中流の夏井川渓谷で過ごす。年に数回は最上流、大滝根山の周辺を通る。要するに、水源から河口まで夏井川を絶えず意識して暮らしている、私の胸中には夏井川が流れているのだ、と言ってもよい。
大滝根山がいわきの平、とりわけ市役所の「9階」から見えるという事実は、私の中では結構重い。市民が、行政が「生きた体」としての夏井川流域全体に思いを致し、思索を深めるための象徴になりうるからだ。
夏井川は故郷の山から水を運ぶ懐かしい川であるだけでなく、いわき市の今を支える命の川でもある。鳥の目で見て虫の目で歩くためにも、時々は未来づくりセンターでスコープをのぞくとしようか。なによりいわきの未来を考えるシンクタンクの司令室から夏井川流域全体が見通せるなんて素晴らしいことではないか――などと、勝手に解釈しながら。
あるとき、スコープで大滝根山の頂上が見えるという話を聞いた。早速、確かめる。左右から沈み込む稜線のあわい、11時の方向にスコープを当てる。と、山頂に白く丸い物体が見えた。航空自衛隊大滝根山分屯基地(第27警戒群)、つまりレーダーサイトの施設の一部だ。間違いない、大滝根山は市役所から、平から見えるのだ――。感動した。
大滝根山は標高1,193メートル。阿武隈高地の主峰である。南東斜面からしみ出した水は、夏井川となって福島県浜通り南部、いわき市の新舞子海岸で太平洋へ注ぐ。私はその反対側、大滝根山の北西で生まれ育った。町を流れる川は福島県の中通り、阿武隈川へ注ぐ大滝根川だ。
物心づいたときに既に頂上にはレーダーサイトができていて、こぶ状の施設が2つ、肉眼でも町からはっきり見えた。この「こぶ」が大滝根山の景観を壊していると嘆く大人もいた。
いわきに根を生やした今は、毎日、夏井川を見て暮らしている。週末には中流の夏井川渓谷で過ごす。年に数回は最上流、大滝根山の周辺を通る。要するに、水源から河口まで夏井川を絶えず意識して暮らしている、私の胸中には夏井川が流れているのだ、と言ってもよい。
大滝根山がいわきの平、とりわけ市役所の「9階」から見えるという事実は、私の中では結構重い。市民が、行政が「生きた体」としての夏井川流域全体に思いを致し、思索を深めるための象徴になりうるからだ。
夏井川は故郷の山から水を運ぶ懐かしい川であるだけでなく、いわき市の今を支える命の川でもある。鳥の目で見て虫の目で歩くためにも、時々は未来づくりセンターでスコープをのぞくとしようか。なによりいわきの未来を考えるシンクタンクの司令室から夏井川流域全体が見通せるなんて素晴らしいことではないか――などと、勝手に解釈しながら。
1 件のコメント:
初めて御ブログを読ませていただきました。そうですか大滝根のお生まれですか。小学時代の恩師が大滝根のお生まれでお城山で暮らした方でした。先生が話される大滝根の豊かな自然と少年時代の先生の話に限りなく想像をかき立てられるました。いわきの高校へ通った頃は『磐東(磐越東線)の鬼』と呼ばれたこと ターザンのように自然の中で遊びほうけたこと。
そうですか いわきから大滝根が見えますか
先生が生きておられたら是非是非見て貰いたかったです。
最後に先生が残された晩年の句を
『はるばると我は来にしか 見返ればふるさとの野は淡く霞みて』
私の記憶違いで多少まちがいがあるかもしれませんが・・・
また寄せていただきます
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