2010年5月19日水曜日

どこの小学校を出たの


今はない開業医のドクターの所蔵本を夫人からいただくことがある。少しでも国際協力NGO(この場合は「シャプラニール」)のためになればと、片付けをしたときに本を入れた段ボール箱が十数個は出る。それを換金し、NGOに送る。

読みたいものはどうぞ手元において――と言われている。社会評論家丸岡秀子さん(1903~90年)の『いのち、韻(ひびき)あり』(岩波書店)はそうして自分の書棚におさまった。

なかにこんな一節がある。「もし学歴を聞きたいなら、あなたの小学校はどこでした、どんなでした、どんな先生がいましたかって聞くほうが、ほんとうだと思うのですよ。小学校を出ないなんて、まったくないんですもの」

わが師・中柴光泰先生も生前、同じようなことを言っていた。「だれでも小学校は出ている。大学や高校ではなく、どこの小学校を出たのかと聞くのがいい」。それならだれでも答えられる。小学校=写真=の思い出は幼稚園よりも鮮明で、中学校よりも楽しかった――。わが子どもたちならずとも、そう思っている人が多いのではないか。

丸岡さんは政治家井出一太郎、作家井出孫六の姉。しかし、男きょうだいとは違った、厳しい生き方を余儀なくされた。農村婦人問題から始めて、女性の地位向上に尽力した。いわきの山里から農業・農村問題に異議を申し立て続けた作家草野比佐男さんが、詩人寺沢正さんとともに「われらが師」と尊敬するほどの人だった。

その草野さんが中柴先生についてこう言っている。「私は、先生を便宜上の敬称で先生と呼んでいるのではない。先生には、学問的知識を授けられるばかりではなく、生き方そのものに教訓を与えられる点がすくなくない」「先生の学校の生徒ではなかったために、真の生徒になる倖せに恵まれた」

中柴先生は、先生も生徒もない、みんな「学びの友」という言い方をよくした。「『卒業した小学校はどこ』と聞くのがいい」もその精神から発していた。学識の深さのみならず、人間的な優しさに「生徒」は引かれた。

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