2011年3月29日火曜日
「シャプラ」がきた
「原発難民」記は、きょう(3月29日)はお休み。
日曜日の27日午前、わが家にNGOの「シャプラニール=市民による海外協力の会」の副代表理事、事務局長、国内活動グループチーフの3人がやって来た。野菜の差し入れがありがたかった。カミサンがシャプラのいわき連絡会を引き受けている。いわきでの中期的な支援活動を考えているという。
19日、北茨城市に入って防災ボランティアの活動を始めた。ボランティアが集まってきたので、次はいわきへ――いわき市の「うつくしまNPOネットワーク」と連携し、22、23日と避難所への救援物資運搬活動を展開した。
北茨城からいわきへ活動拠点を移したのは、例の「原発事故」でいわきへのボランティアの足が止まっているからだ。短期から中期へ――次の戦略が必要になっている、そんな判断もある。
「シャプラ」としてなにができるか。いわき市社会福祉協議会の常務理事に会い、市市民協働課長のアドバイスを受けて、いわき市南部で復興のための活動を始めつつある「勿来ひと・まち未来会議」のリーダーに会いに行くことにした。旧知の人間だが、ケータイの番号などは知らない。
ここは市勿来支所へ駆けつけ、支所長の知恵を借りるに限る。支所長と情報交換をしているうちに、地震・津波の災害現場を見て回った副市長が偶然、支所長室にやってきた。市のナンバー2の話は、シャプラニールが何をしたらいいか、大きな参考材料になった。
やがて「未来会議」のリーダーとも連絡が取れ、津波被害に遭った海岸部で落ち合った。現場には、これまた旧知の防災コンサルタント氏(いわき市湯本出身)がいた。シャプラ関係者とも知り合いが多い。コーディネーターにはうってつけの人間だ。シャプラにとってもここから始めよう、という確信を得たのではないか。
シャプラの3人はいったん東京へ帰り、「未来会議」のリーダーやコーディネーターと具体的な支援計画を練ることになった。シャプラがいわきに入って中期的に活動するということは、原発風評を払拭するだけでなく、ほかのボランティア団体にも好影響を与えるのではないか。一気にそんな期待がふくらんだ。
「未来会議」のリーダーが「帰りに岩間と小浜を見て行ってほしい」という。大津波で壊滅的な被害に見舞われたところだ。道はと聞くと、「生活道路」だから立ち入り禁止にはなっていない。
被災地に踏み込んで息をのんだ。分厚いコンクリートの堤防が破壊され、押し流された=写真。堤防・道路・民家とつらなる海辺の風景は消え、大地がえぐられ、むき出しになっていた。小浜は海側の家並みが壊れて海がざっくり見えるではないか。
そのあと、小名浜、永崎、中ノ作、江名と回って平へ戻った。超現実的な風景が延々と続いていた。あらためて被害の甚大さを思った。
■きのう(3月28日)、コメントを寄せていただいた
静岡の高野さん、メールを待ってます。
私のアドレスはty231119@cameo.plala.or.jpです。
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