2011年3月30日水曜日

夏井川渓谷へ


きょう(3月30日)も「原発難民」記はお休みです。

気になっていたのが一つ。大地震以来、夏井川渓谷の無量庵へは行っていない。どんな状態か。

今も時折、近くに住む孫のヘルパーを続けている。西郷村の那須甲子青少年自然の家で「原発難民」生活を送っていたころは、孫2人の「いじくりこんにゃく」になった。要は孫のおもちゃだ。おもちゃになるのがジイ・バアの役目。帰宅したあともその役目に変わりはない。

一方で、大地震から半月余がたち、夏井川渓谷の無量庵のことが気になり始めた。きのう(3月29日)朝、生ごみの入った容器を車に積んで向かったら、渓谷の入り口・小川の高崎で通行止めの看板にさえぎられた。ちょうどそのとき、主夫をしている息子から「一時、ヘルパーを頼みたい」というケータイが入った。Uターンして息子の家を目指す。

カミサンは民生委員としての仕事がある。ヘルパーは私の役目。午前中、孫と過ごし、帰宅したあと、時間のあいたカミサンといっしょに再度、無量庵へ出かけた。

高崎から先には行けない。しかし、う回路がある。いったん二ツ箭山のふもとを巻くようにして国道399号を進み、横川から「母成林道」に入って江田に出る、いつもの「災害ルート」だ。この15年余の間に2回は利用している。

399号の入り口で交通警察隊が検問をしていた。福島第一原発から20キロ圏内への立ち入り規制をするのが目的だ。他県から応援に来たのだろうか。「江田の先に家がある」といっても、「江田はどこか」。う回路の話をすると了解して通してくれた。

江田から上流の渓谷は、そんなに目立った変化はなかった。が、牛小川の一つ手前、椚平の対岸は至る所で落石があったのだろう。縦に赤みがかった筋が急斜面にいくつも入っていた。通行止めの原因は磐越東線・高崎踏切から1キロ先という表示だったから、おそらく落石除けのロックシェッドがあるあたりで大規模な崩落が起きたに違いない。

としたら、県道の復旧には相当の時間がかかる。近くを走る磐越東線も当分だめだろう。「完全通行止め」という看板はそのへんのことも含めて言っているのかもしれない。

それより、わが無量庵だ。まず、瓦屋根を見る。無事だった。いちだん下の空き地とは石垣で区別されている。その一部が崩れていた=写真

室内は? 本は無事。カセットラジオも落下していなかった。安定の悪いボックスの上に載せておいた時計とそのボックスが落下し、台所のこまごましたものが散乱していたほかは、電灯のかさがずれたり、雨戸の内かぎがゆがんではずれなくなったりしただけで、割と手早く片付けが済んだ。崩れた石垣にはブルーシートをかけた。

水は真冬の凍結・破損以来、電源を切ったまま。この大災害だ。復旧には、マチ場の工事が優先されるから、かなり時間がかかるかもしれない。そんなことはしかし、かまわない。水が出ないくらい、へっちゃらだ。

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