2011年4月4日月曜日
勿来地区災害VCが発足
いわき市佐糠町にある吉野木材で4月2日夜、いわき市勿来地区災害ボランティアセンター会議が開かれた=写真。NPO勿来まちづくりサポートセンターが中心になり、行政に先駆けて同地区の復旧・復興への道筋をつけよう、そのための災害ボランティアセンターを立ち上げよう、というのが目的だ。
山口県宇部市職員、いわき市社会福祉協議会職員、埼玉・越谷、九州・熊本市社協職員、東日本国際大の学生、シャプラニール職員などの支援団体・支援者のほか、地震・津波被害に遭った関田須賀、錦須賀、岩間、小浜から区長さんたちが出席した。区長さんたちが現状を報告した。あらためて被害の甚大さを思った。
「津波で壊れた家がある。道路に散乱しているガレキは撤去した。避難して誰もいない家の片づけをボランティアに手伝ってもらいたい」(関田須賀)「集落の大半が押し流された。家が残っていても住めない。ガレキが散乱している。これを撤去しないと」(錦須賀)
「堤防の巨大なコンクリが転がっている。道路にあったものは自衛隊がこまかく砕いて撤去したので、車は通れるようになった。ムラの6~7割は全壊、残りは半壊、無傷なのは数軒。壊滅的な状況」(岩間)「(漁港に近い)渚地区は3分の2が全壊、あとは半壊」(小浜)
このあと支援する側、される側が質問をぶつけあい、出席者は南部からいわきの復興の芽を確かなものにしようと、心を一つにして災害ボランティアセンターの立ち上げを決めた。
同センターの活動スケジュールによれば、独居老人・老老介護・病院・老人保健施設・保育園・授産所などへの生活物資支援とニーズ調査を先行し、4月10日を期して災害ボランティアの受け付けと活動を始める。
会議終了後、区長さんたちに被災住民への「ボランティアニーズ受付票」が手渡された。ボランティアが何人必要で、何をしてもらいたいか、必要な道具は何か、といったことを記入してもらうのだ。その受付票が集まった段階でより具体的な支援のための面談調査を行うという。
ボランティアには何ができるかを登録してもらう。片づけ作業だけではない。傾聴ボランティアも、「思い出探し隊」も必要。なんでもいいのだ。災害ボランティアセンターが被災者のニーズとボランティアをつなぎ、調整する「窓口」として機能する。それによって秩序だった作業が可能になる。
一人のささやかな一歩がやがて大きな成果を生む――そんな期待が膨らむ。
私事ながら、シャプラニールが勿来地区災害ボランティアセンターの一員として加わることになったため、いわき連絡会を引き受けているカミサンともども会議に出席した。
そもそも、シャプラニールの前身である「ヘルプ・バングラデシュ・コミティ」を立ち上げたのは、いわき市三和町出身の私の友人。それもあって、シャプラニールとは長い付き合いだ。それに、昭和56(1981)年秋から3年間、私は勿来で仕事をした。たくさんの人に出会い、世話になった。恩返しの意味も込めて支援の末端に連なった。
勿来地区災害ボランティアセンターの舘敬代表のほか、会議に出席したなかにも勿来時代に知り合った人が3人いた。久しぶりに言葉を交わした。
いわき市の中心地・平から遠い南部の勿来だからこそ、行政ではなく市民パワーを発揮することができる。「勿来モデル」は必ずいわき市内の他地区に波及するだろう。そう信じて側面・後方支援を続ける。
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1 件のコメント:
はじめまして、北瀬と申します。災害後、勿来地区のボランティアを知人と行っておりました(ineいわき農商工連携の会)。勿来地区災害VCが発足という記事を読ませていただき、よろしければ詳細を教えていただけないかと思いコメントさせていただきました。
お忙しいところ、お願いして申し訳ありません、可能でしたら以下まで返信して頂けましたら幸いです。kitase8@gmail.com
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