いわき市立草野心平記念文学館できのう(11月1日)午後、第38回吉野せい賞表彰式が行われた。受賞者3人のうち、準賞「すべて天使の都合によって」(小説)の永沼絵莉子さん、奨励賞「ともだち百人」(同)の林恵さんが出席した=写真。
表彰式の前におふたりと会食した。文学談議をしながら、何年か応募作品を読んできた感想として、「自分を見つめるもう一人の自分」がいるかどうか。何を言いたいか、伝えたいかをわかってもらうためには、「作者の自分」のほかに「読者の自分」がいないと独りよがりの文章になる――といったことを話した。
表彰式のあと、ノンフィクション作家の梯(かけはし)久美子さんが「女流作家の愛と苦しみ~女がものを書くということは」と題して記念講演をした。
梯さんは2014~15年にかけて1年間、日本経済新聞日曜版に作家や詩人の「愛の顛末(てんまつ)」を連載した。吉野せい(1899~1977年)も取り上げた。反響が大きかった。「洟(はな)をたらした神」がamazonで売り上げ1位を記録したという。11月13日付で「愛の顛末」の単行本が発売される。
講演では、連載で取り上げた原民喜や八木重吉と草野心平がかかわりを持っていたことなどを紹介しながら、前半は「乳房喪失」で知られる北海道出身の歌人中城ふみ子(1922~54年)を、後半は吉野せいを論じた。地元にファンの多いせいについては、これといって目新しいものはなかった。が、ノンフィクション作家がせいファンになったという“発見”がうれしかった。
せいを知るために、つまりは三野混沌・せい夫妻の「愛の顛末」を知るために、梯さんは好間の菊竹山を訪ね、せいの原稿などを実見した。
「すぐれた文学少女」だったせいが結婚し、暮らしと子育てのために50年間、ものを書くことを封印した。しかし、せいは娘梨花の死に貧困と無知と罪を感じながらも、「創作を続けることで梨花の成長としよう」と決意する、自分を客観的に見る目があった。作家にはこの自己客観化が大事、といった意味のことを話した。
読み手にわかってもらうための「もうひとりの自分」も、書き手としての「もうひとりの自分」も、根っこはおそらく同じ。そして、それは世阿弥のいう「離見の見」ということにも通じるものだろう。
中城ふみ子、せいのほかに印象に残ったのは原民喜。若いときに少し彼の作品を読んだ。原爆投下後の広島を描いた「夏の花」に、小学校2年の春に起きた大火事の惨状を重ね合わせたものだった。たぶん今読めば、4年8カ月前の大津波の惨状とも重なる。
梯さんは『百年の手紙 日本人が遺したことば』(岩波新書)でも、せいを取り上げているという。いわき総合図書館にある。まずはこちらを読んでみよう。
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