2015年11月24日火曜日

神谷村踏切

 小学生になった今は口にしなくなったが、上の孫が3、4歳のころ、よく「ジューカンカン、ジューカンカン」と言って常磐線の踏切を見たがった。生まれながらの「子鉄」だ。「カンカン」は踏切の警報機の音だからわかる。が、「ジュー」はなにからきていたのだろう。
 踏切のそばで電車が来るのを待つ。警報機が鳴り出し、電車がばく進してくる。それを見て満足する。特急は「スーパーヒタチ」、普通列車は「ジョウバンセン」と呼んでいた。

 大好きな踏切は平市街の東方、夏井川の鉄橋と鎌田山のトンネルを越えた先の「神谷(かべや)村踏切」=写真。街へ連れて行った帰りに必ずそこへ寄るよう、「ジューカンカン、ジューカンカン」を繰り返した。列車が来ない時間帯もある。すると、なんでカンカン鳴らないのかと駄々をこねることも。

 常磐線は明治30(1897)年2月25日、水戸―平(現いわき)間が、同年8月29日、平―久ノ浜間が開通した。久ノ浜駅までの間には草野、四ツ倉駅がある。神谷村踏切はそのときにつくられた、ということになる。

 元神谷村の中神谷地区に立鉾鹿島神社がある。常磐線の線路が参道を横切って敷設された。5月の例祭には堂々とみこしが線路を渡っていく。その日はJR関係者2人が線路のそばに立って、みこしの渡御を見守る。ハレの日だけの禁止解除だ。私も大っぴらに線路を横切る。

 昭和25(1950)年5月、神谷村が平市に吸収合併され、村の名が消えた。それでも踏切には村名が残った。村だった痕跡は今やそこにしか残っていない? 実は孫の「ジューカンカン」のおかげでそこが「神谷村踏切」というのを知ったのだった。
 
 夏井川に飛来するハクチョウ、溯上してくるサケ、そしてこの「神谷村踏切」。土地に現存する社寺や民家、遺跡・遺物、生きものなどを通して、身近な歴史と自然を学ぶことはできる。小学校の学区内だけでも探せば“教材”には事欠かない。学校そのものの成り立ちが地域の歴史を凝縮している。子どもでなくても、そういったものを知ることが喜びになり、誇りに結びつくのではないか。

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