西の空に「阿弥陀如来の指」(私の勝手な言い方)を見たのは10月29日だった=写真。なぜ黒い影が帯状に伸び、先端が丸くなっているのか。はっきりしている「指」は3本だが、ほかにも2本ほど伸びているようだ。下の雲の峰が白いままなのに、上の雲の腹が影で黒くなっている。それで、「阿弥陀如来の指」は低い雲と高い雲の間を伸びてきたのだとわかる。
雲の切れ間から光が地上にさしこむ現象を「ヤコブの梯子(はしご)」という。これはときどき見る。「阿弥陀如来の指」はその逆で、光によってなにかの影ができ、空中に放射されたということなのだろう。早朝の東の空だったら、さしずめ「大日如来の指」か。
影のもとになるものがわからなかった。きのう(11月19日)のNHKおはよう日本を見るともなく見ていたら、「ネット動画」のコーナーで似たような事例が紹介されていた。そちらは山の影だった。
きのうの小名浜の日没は午後4時25分、10月29日は午後4時42分だった(冬至に向かって日の出は一日1分ずつ遅くなり、日の入りは1分ずつ早くなると思えばいい)。私が「阿弥陀如来の指」を見たのは午後3時45分ごろだから、日没1時間前。まだ太陽は山の上にある。すると、雲の峰の影か。その峰が最低三つはあったことになる。
仏教の「西方浄土」は極楽をあらわす観念とはいえ、現実には太陽の沈む方角を連想してしまう。大昔の人々が午後遅く、雲の切れ間から人間の指のようなものを見たら、その先になにか尋常ではないものが息づいていると思って、かしこまったのではないか。
「娑婆苦」の世界に自然現象がかさなって「彼岸」が生まれ、「西方浄土」が生まれ、阿弥陀如来や大日如来たちが生まれたのではないか、などと、いっとき妄想をたくましくするのだった。雲はやっぱり天才だ。
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