元福島県議永山茂雄クンの通夜に夫婦で行ったら、奥方が親類として座ってくれ、という。奥方と私のカミサンとはまたいとこだ。ならば永山クンの骨まで見届けてやろう、と思った。
きのう(11月2日)午前10時半から、告別式が行われた=写真。火葬・精進あげ(葬祭場のスタッフは「精進おとし」といったが、いわきではそんな言い方をしない)をすませて葬祭場を出たのは夕方4時だった。
故人と私は福島高専(当時平高専)の3期生で、入学時、学生寮の部屋が同じだった。やがて社会人になり、結婚した。「同期生」「寮のルームメート」のほかに、「姻戚」の関係が加わった。
詳しくは10月30日付の小欄を見ていただくとして、告別式のあと、いわき清苑で火葬にする間、永山クンの妹さんらと、50年前と今をいったりきたりしながら雑談した。
こんなこともあったと、永山クンの親戚の女性が教えてくれた。高学年になって街のなかに住まいを借りたときのこと。出身地のいわき市三和町の高校生や高専の仲間がしょっちゅう出入りしていた。高専生から聞いた話だという。
だれかがなにかで失敗した。「穴があったら入りたい」というところを、「風呂があったら入りたい」といったそうだ。風呂に何日も入っていなかったのだろう。不謹慎ながら、大笑いした。
それから永山クンの骨を拾った。「普通はこんなにきれいに残らないのですが」と、火葬場のスタッフが言った。永山クンの頭蓋骨がそのままあった。永山クンのいとこのドクターが写真を撮り、喪主も、私も、そのほかの人間も写真を撮った。なんといったらいいか、「だれもがカメラマン」の現代の一断面だ。
夜はわが家に疑似孫と両親が遊びに来た。父親も福島高専で学んだ。さっそく火葬場で教えられた、「穴」と「風呂」の話を披露したら爆笑した。故人にはすまないが、いやこれは人集めが好きな故人が骨になりながらも、残った人間に景気をつけてくれたのだ――そう思うと、落ち込んだ気持ちも少しは晴れた。
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