久しぶりに面白い小説を読んだ。若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社、2017年)=写真。
わが家の一角に地域図書館がある。毎月、移動図書館を利用して本を更新する。その中にあった。
2017年に文藝賞、翌18年に芥川賞を受賞したのは知っていたが、読む機会がなかった。タイトルを見て、「よしっ」と気合が入った。
東北弁というより岩手弁だろう。主人公の「桃子さん」(子どもたちは独立し、夫には先立たれた75歳の独り暮らし女性)が胸中でつぶやくとき、ふるさとの言葉になる。
最初の1行からそうだった。「あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが」
東北の南端いわきに住んでいるので、「なんぼが」「おがしく」「ねべが」の「が」は、「学校」の「が」と同じ濁音であることを知っている。
頭がおかしくなったと感じるのは、脳内に自分と対話するだれかがいるからだ。そのだれかが言う。「だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから。おめとおらは最後まで一緒だがら」
おれはおまえで、おまえはおれだ――。お茶をすすっているうちに、頭の中ではジャズのセッションのように言葉が鳴り響く。「オラダバオメダ、オメダバオラダ、オラダバオメダ、オメダバオラダ、オラダバオメダ」
こうカタカナで表記されると、東北弁にも何か光が当たった感じがして口元が緩む。コンプレックスが薄れる。逆に、独自の豊かさに引き込まれる。
作品そのものは「新たな『老いの境地』を描いた」ものだが、ここでは個人的に興味を持った中から一つだけ、地球の歴史に関する記述を取り上げる。
桃子さんは地球46億年史の読み物が大好きだ。テレビのドキュメンタリー番組を見てから、すっかりはまった。
番組で聞きかじったことをカレンダーの裏の白地に書き込み、さらには本を読んでわかったことをノートに清書する。
小説の最終場面近く、立春を翌日に控えた節分の晩、南京豆をまき、それを拾って割りながら、かつての家族だんらんを思い起こす。
と、脈絡もなく「マンモスの肉はくらったが、うめがったが」という言葉が口を突いて出る。
それからアフリカを飛び出した人類の歩みを想像する。その命のつながりの中で生まれたわが命だという自覚。現実と夢と空想の突拍子もない組み合わせが新鮮だ。
タイトルはもちろん、岩手の詩人宮沢賢治の詩「永訣の朝」に出てくる、賢治の妹トシの臨終の言葉からきている。
原作では「おらおらでしとりえぐも」がローマ字で表記されている。孤独に負けずに生きる、生活を楽しむ、そんな桃子さんの明るさに思わず拍手を贈りたくなった。
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