2025年5月24日土曜日

「編む」ということ

                                              
   編み物の「編む」がテーマなのに、勝手に編集する意味の「編む」と思い込んでしまった。

「ひび割れた世界のなかで、私たちの生をつなぎあわせる」というサブタイトルも、誤読を誘った。

ロレッタ・ナポリオーニ/佐久間裕美子訳『編むことは力』(岩波書店、2024年)=写真。カミサンが図書館から借りて読み終えたあと、手に取った。

編み物を通して、編み物の歴史と本質を考察した本だった。著者は編み物を実践するイタリア出身のエコノミストだという。

本のカバーのそでに「心安らぐ趣味として親しまれる編み物は、フェミニズムや社会運動を支えるツールでもあり続けてきた」とある。

そこから「個人と政治、愛と経済を結びつけ、社会を何度でも編み直してきたパワーの歴史」をたどっている。

編集の仕事をしてきた経験からいうのだが、編集とは新聞や本、雑誌などをつくることだけではない。自分の一日の予定を組み立てることも一種の「編集」とみなすことができる。

その意味では、人間は絶えず自分を、自分と社会とのかかわりを「編集」しながら暮らしている、と私は思っている。

編み物はむろん、やったことがない。子どものころ、毛糸の束を腕にはさんで、母がぐるぐる毛糸玉を作る手伝いをしたことがあるだけだ。

冬は主に手編みのセーターを着た。結婚してからは、元は漁師が着ていたというアイルランドの「アランセーター」にもそでを通した。冬、ニットの帽子をかぶっていたこともある。

そんな記憶がよみがえったものの、技術的な話はさっぱりわからない。ただ、「愛と経済」の意味はなんとなくわかった。

アラスカの先住民の話が出てくる。「大半の女性たちはお金のために編み物をし、家族の収入に貢献した」

刺繡(ししゅう)もそうだろう。シャプラニール=市民による海外協力の会が支援活動を続けているバングラデシュには伝統的な刺繍ノクシカタがある。

これを生かしたフェアトレード商品がある。生産者の生活向上を目的にしているところは、編み物と同じだ。「愛と経済」はこのことをいうにちがいない。

 シャプラニールは具体的な取り組みとして、児童労働削減のため、現地のパートナー団体とともに、ダッカ市内でヘルプセンターを運営している。

14歳以上の家事使用人の少女には縫製、絞り染め、ブロックプリントなどの職業訓練を、さらに全員を対象にした授業では刺しゅう、調理実習、ペーパークラフト、アクセサリ―作りなどを行っている。

というわけで、編み物についてはよくわからないうちに読了した。そして、これは付け足り。

手芸の編み物が確立するより前に、編むこととして漁網があったらしい。「網」は「編み」と同根なのだろうか。

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