渋柿である。一度だけ柿の実をもぎり、皮をむいて軒下につるしたことがある。ちゃんと干し柿になったかどうか記憶がない。あらかたはカビがはえたり、ヒヨドリにつつかれたりして消えたように思う。
こんなこともした。若葉を干して柿茶をつくった。てんぷらにもした。30代のころ、日曜日は時間がたっぷりあった。いずれもその場限りで、習慣にはならなかった。
今は生(な)るがまま、落ちるがまま。業者と後輩に頼んで、二度ほど枝をバッサリやったほかは放置したままだ。
未熟な青柿が肥大すると落下が始まる。ちょうど樹下に車を止めている。青柿が車のボンネットや屋根を直撃するので、夏の始まりから秋の終わりまでは柿の木から離しておく。
酷暑の夏だけでなく、暑い秋も過ぎて、熟した落柿が地面を赤く点描するようになった。時間がたつと皮が破け、中身もとろけてつぶれる。
たまたま樹下に立ったとき、甘く饐(す)えた匂いに包まれた。一つだけ色も形もきれいな落柿があった。
ここまで赤いと中身も甘いはず――。食欲がわいて回収し、洗って豆皿に載せた=写真。
「初物」なので、いったん床の間に飾ったあと、二つに割って晩酌のおかずにした。渋みは消えて、さっぱりした甘さが口内に広がった。
カミサンはカミサンで、近所の故義伯父の家から、やはり地面に落ちた甘柿を持ち帰った。
甘柿は、皮がやや黄色みがかった程度で熟しきってはいない。それでも甘柿である。さっぱりした甘さは熟した渋柿と同じだが、甘みの質が違うように感じた。
若いころ、四倉の知人から、正月には冷凍しておいた干し柿を食べる、という話を聞いた。
その延長で、熟してとろとろになった甘柿をタッパーに入れて凍らせたことがある。無添加の「かき氷」ならぬ「柿氷」、つまりは「柿シャーベット」。これはこれで正月のいい食べ物になった。
11月に入ると、そろそろ白菜漬けを、となる。風味用にミカンや柿の皮を干して加える。それでカミサンの実家から干し柿にした残りの皮が届いたこともある。
秋田県に伝わる「大根の柿漬け」を食べたときには驚いた。大根を半月切りにし、塩でまぶして水気を切り、そこに熟した柿の実を混ぜて少し寝かせた即席漬けだが、大根が甘く仕上がって絶品だった。
秋田出身のおふくろさんの味を、今は彼岸に渡った区内会の先輩が伝承した。「風土」は「フード」。そのことをあらためて実感した。
さて、とこれは蛇足。正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は10月26日に詠まれた。それで、全国果樹研究連合会カキ部会が10月26日を「柿の日」に制定した。早くもその日が迫っている。
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