秋分の日は墓参りを兼ねてカミサンの実家を訪ねた。親せきの人が何人か焼香に来る。その応対をしているなかで新舞子海岸(平藤間)の松枯れが話題になった。
海からは遠い二ツ箭山(小川)のふもとに住むカミサンのいとこの話である。最近、海岸道路を通って驚いた。「なんだい、あれは。また松くい虫にやられたんでねぇべか」
私もびっくりしたばかりだった。秋分の日の2日前、日曜日に夏井川渓谷の隠居から泉ヶ丘、薄磯と巡って、四倉までカツオの刺し身を買いに海岸道路を利用した。
「なんだ、この『茶髪』は」。やはり異常な松枯れの連続に驚いた=写真(助手席からカミサンが撮影)。
もう何十年も前になる。松くい虫にやられて海岸のクロマツが「茶髪」になった。被害の拡大を防ぐため、何年かヘリコプターで薬剤散布が行われた。やがて市民の間から反対運動が起き、ヘリによる防除は中止になる。
これが、記憶にある最初の松枯れだ。次は14年前、2011年3月11日に発生した東日本大震災による「塩害」でクロマツが枯れた。
巨大地震に伴い、東北の沿岸を中心に大津波が襲った。いわきでも豊間・薄磯を中心に甚大な被害が出た。薄磯の北方、沼ノ内~四倉のクロマツ林も波をかぶった。
すると次第にマツが枯れ始め、あちこちで「茶髪」になった。植物の先生によると、津波の塩分を根から過剰に摂取したために、浸透圧によって脱水症状をおこしたのが原因らしい。
枯れた松は伐採・切断され、見晴らしのよくなった跡地には松の苗木が植えられた。津波被害が甚大だった久之浜や薄磯、豊間などでは防災緑地が築かれ、やはり苗木が植えられた。
地元では新舞子のクロマツ林は「道山林」と呼ばれている。由来は江戸時代初期、上総から磐城平に移った内藤の殿様(法名「道山」)が、海岸近くの田畑を守るために松を植えたことによる。
以後、歴代の領主・幕府代官が保護し、明治2年の版籍奉還後は国有林に編入された。
震災から14年。クロマツの苗木も順調に生育し、一面若い緑に覆われるようになった矢先の「茶髪」である。
この海岸道路は2~3カ月にいっぺん、薄磯のカフェ「サーフィン」の行き帰りに利用している。
前回はそんなに違和感を持たなかったから、最近、急激に松枯れが進んだのではないか。
SNSにはやはり、海岸の松枯れを伝える写真が投稿されていた。それだけ衝撃的な変化だったに違いない。
夏井川渓谷でも松枯れ被害は後を絶たない。30年ほど前、アカマツの大木がやられ、いったん収まったと思ったら、東日本大震災の前後からまた若いアカマツに茶髪が見られるようになった。
新舞子の茶髪も若いクロマツが多い。原因は松くい虫だろうか。それとも、別の何か、だろうか。気になるところではある。
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