晴れていれば朝は庭に出て、歯を磨きながら草木をながめる。しかし、カラ梅雨から夏、さらには秋と酷暑が続いた。朝から照りつける。で、庭に出るのを控える――そんな日の連続だったが……。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはよくいったもので、秋の彼岸を過ぎるとしのぎやすい天気に変わった。庭での歯磨きが復活した。
しのぎやすいどころか急に冷え込んで、こたつが恋しいときがある。茶の間の座卓(壊れたこたつ)の下には電気マットを敷いている。先日、このマットをオンにした。
足には手ぬぐいを縫い合わせた布をかけて冷えをしのぐ。座卓にカバーを掛ける日も近い。
季節の巡りはいつものことだ。とはいえ、人はいとも簡単に目先の状況に順応してしまう。
あんなに暑かった夏のことをすっかり忘れて、今はどう体を温めるか、そのことで頭がいっぱいだ。なんとも皮肉なことではある。それはしかし、生物としての生存本能なのかもしれない。
もともとヒトは(ほかの生物もそうだろうが)、天気の変化に即応しながら生きてきた。
そしてヒトだけ、暑いときは暑いように、寒いときは寒いように衣食住を調節することを覚えた。
今年(2025年)はクマが人里にまで押しかけているが、ヒトはふだん生活圏でこれらの動物を危険視することはない。
その意味では、ヒトにとって生存するうえでの一番大きな危機は地球の温暖化、それに伴う夏の酷暑と冬の厳寒ではないか。寒暖の変化を甘く見ると命取りになる。
「あんなに暑かったのに……」なんてぼやいている暇はない。酷暑時の服装と意識を引きずっていると、急な冷え込みに対処できずに風邪を引く。ということで、今夏の酷暑の記憶は秋の寒冷を前にスパッと頭から消えた。
さて、庭に目を移すと――。ホトトギスが蕾をいっぱい付けている。10月18日には1輪が開花した。
この野草のすぐ上に、木々の枝を利用してジョロウグモが網を張っていた=写真。よく見ると、8本あるはずの脚が5本しかない。
獲物を捕らえているうちに脚を3本失ったか。あるいは、天敵に襲われて生き延びたものの、ダメージを受けてそうなったか。理由はむろんわからない。
ネットで調べたところ、クモは脚を2~3本失っても死ぬことはない。5本の脚でも十分生きていられる、ということだった。
ホトトギスのわきにあるミョウガの群落は先日、カミサンが刈り払った。ミョウガの子が少々あった。今年は8月下旬からミョウガの子を食べてきた。その意味では、これが「終わり初物」である。
夏、糠床に虫がわいたために、長年利用してきた糠味噌を廃棄した。朝のルーティンの一つ、糠床の攪拌がそれでなくなった。ミョウガの子の糠漬けもできなかった。
ジョロウグモは庭の頭上5メートルほどのところにも、電線を利用して網を張っている。こちらはポツンポツンと6匹いて、体が大きい。いよいよ秋が深まってきた。
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