ここ1~2年、意識して「老い」をテーマにした本を読んでいる。以前は医師や精神科医などが書いた小説やエッセーなどだったが、今は著者自身が老いて考えたこと、感じたことなどをつづったエッセー集がほとんどだ。
筆頭は今年(2026年)4月29日に102歳で亡くなった作家の佐藤愛子さん。これはもう「あっぱれな老い」というほかない。
『九十歳、何がめでたい』『九十八歳、戦いやまず日は暮れて』などのほか、孫育ての本も手に取った。
前に、父・佐藤紅緑や兄・サトウハチローの生涯を描いた彼女の小説『血脈』を読んだ。
破天荒な生き方で知られるハチローは「長崎の鐘」の作詞者でもある。ほかに、「リンゴの唄」「悲しくてやりきれない」、童謡の「うれしいひなまつり」「ちいさい秋みつけた」などを書いている。
イメージと現実のギャップが面白くて、『血脈』の中に分け入った。それでわかったのは、「泣き虫の不良」で、「エゴイズムと無邪気な感情が背中合わせになっている人間」(佐藤愛子『血脈』あとがき)ということだった。
父親の血を引き、嵐のように実人生を走りぬけた。この矛盾の深さがハチロー作品を魅力のあるものにしているようだ。
先日は作家阿刀田高さんのエッセー集『90歳、男のひとり暮らし』を読んだ。今年10月12日、94歳で亡くなった作家黒井千次さんは、高校時代の2年先輩だという。
黒井さんの訃報からほどない日、阿刀田さんが新聞のインタビューに答えていた。「黒井さんを、七十数年間、敬愛し続けてきました」。追悼記事の最初の行から温かい気持ちになった。
その直後、図書館で大活字本の書架をながめていたら、黒井さんのエッセー集『老いのかたち』が目に入った。これは読まないわけにはいかない。
「自然に老いていけばいいではないか」「健康な老化があるならそれが一番望ましい」……。
子供は「足し算の光が年齢を輝かせている」のに対して、「老人の年齢は下り坂にかかっており、生の終末からの引き算として現れる」。さすがである。
本の中に出てくるアメリカの詩人・批評家、マルコム・カウリー/小笠原豊樹訳の『八十路から眺めれば』=写真=が図書館にあったので、すぐ借りて読んだ。
老いの実感に洋の東西はない。カウリーは「老いを告げる肉体からのメッセージ』を一覧にした。これが具体的でわかりやすい。
そのなかの1つ。「片足で立つことができず、ズボンをはくのに難渋するようになったとき」。これには苦笑した。
「もう日が沈んだあとの車の運転はよそうと決心したとき」。私もあと2年で八十路。つい口から笑みがもれる。
老いについてはことさら卑下するのでもなく、誇張するのでもない。等身大で受け止める。
そんな味わい深い老いの洞察に触れて思うのは、少年のような「好奇心」は老人になっても衰えることがない、いや、持ち続けることはできる――ということだった。
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