夏井川渓谷の牛小川地内、県道小野四倉線沿いに遭難碑と六地蔵が立っている=写真。県道の下には夏井川、山側の石垣ののり面の上にはJR磐越東線。少し東に寄ったところで線路はロックシェッドに覆われる。このあたりで81年前、大事故がおきた。
昭和10(1935)年10月27日午後6時ごろ、折からの豪雨で山の岩石・土砂が崩れ落ち、線路が消えたところへ郡山発平(現いわき)行きの列車が突っ込んだ。機関車や客車など4両が脱線し、県道と下の河原に転落、12人が死亡、50人が負傷した。
遭難碑は後世に事故を伝え、犠牲者を慰霊するために建てられた。六地蔵は四半世紀ほど前、遺族の1人が建てた。
昭和初期、いわき地方には日刊紙(夕刊)が5紙あった。平の私立図書館「三猿文庫」に保存されていた新聞・雑誌などが市に寄託され、いわき総合図書館に収蔵された。新聞はのちに電子化されたので、家にいながら図書館のホームページを開いて読むことができる。
たまたま10月28日に“電子新聞”をチェックしていたら、81年前の10月27日の事故を伝える記事(10月29日付=28日夕刊)に出合った。5紙のうち、欠落紙を除く4紙が事故を詳報している。一気にタイムスリップして、なまなましい第一報を読んでいる感覚になった。平町は驚きと悲しみに包まれたに違いない。
新聞には列車転覆事故のほかに、「六十枚橋外三橋全流失 道路堤防被害十数ケ所」、田人・上遠野では「合計十一名が水魔の犠牲」、「全郡に被害甚大」といった見出しが躍る。牛小川だけでなく、いわき地方が豪雨に見舞われた。
福島地方気象台のデータでは、27日の降水量は小名浜で66.8ミリ。10月後半はその日をはさんで12日間雨なし。山間部の降水量はたぶん小名浜の比ではなかった。
15年前、子どものころに列車転覆事故の惨状を目撃した、という人の話を聴いたことがある。牛小川の住人で、いわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動の一環として、道路のごみや空き缶類を拾いながら遭難碑の近くに来たとき、整然と積み上げられた道端の石垣の上部を指さして、「ここから列車が転落した」と教えてくれた。犠牲者のなかにはカミサンの親類や近所の人がいた。
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