2012年9月7日金曜日

半纏試着


赤いちゃんちゃんこよりは黒い半纏(はんてん)がいい。還暦の記念に、いわき市に工房を構える刺繍工芸家望月真理さんの作品を購入した=写真。「半纏を着て街を歩く男はかっこいい」。望月さんの言葉に「オレも」と反応してしまったところもある。ほぼ4年前のことだ。

その望月さんからおととい(9月5日)朝、電話が入った。たまたま私が出た。「男性から頼まれて半纏をつくっているけど、袖口が気になって。試着してくれないか」という。その日、外出の予定はなかった。午後、わが家に望月さんがやって来た。

失礼ながら、年齢的にはわがオバサンのクラスだ。80代後半だろう。車を運転する。が、歩くのには歩行器が必要だ。歩行器は折り畳み式だった。

早速、制作途中の半纏に袖を通す。望月さんの目の色が変わる。Tシャツやセーターの上に羽織ることを想定しているという。私から見ても袖口が広すぎる。そのことを率直に言うと、納得して待ち針を刺した。

用がすめば雑談だ。望月さんはアジアの少数民族の刺繍コレクターでもある。インド、バングラデシュ、ベトナム……。そのへんを踏まえてベトナムの話を聴いた。ベトナムには8回も行っているという。「10回は行きたいが、足が(悪くて)ねぇ」

ベトナムに絞ったのは来週、同級生と“修学旅行”に出かけるからだ。カンボジアにも行くと言ったら、「アンコールワットね」。観光旅行であることを見透かされている。刺繍を求めて、地を這うようにアジアの山岳に分け入ってきた望月さんにとっては、定番のパック旅行など、お気軽な、旅ともいえない移動でしかないのだろう。

辛辣だがユーモラス、ときに少女のように純粋で率直。水、食べ物、織物、市場、屋台……。旅のベテランからたっぷり一時間、ベトナム文化について貴重な情報を得ることができた。楽しい“個人授業”だった。

2012年9月6日木曜日

被災体験を世界へ


いわき市海岸保全を考える会が昨年秋、『HOPE2』=写真=を発行した。東日本大震災と原発事故に遭遇したいわき市民や双葉郡の人々、ボランティアなどの証言集だ。130人が「一人称」で体験を語っている。かつて同じ職場にいた若い仲間が中心になって取材・編集した。

若い仲間はサーファーでもある。津波被災者に本の売り上げの一部を義援金として贈りたい――。サーファー仲間と諮って写真集『HOPE』を発行し、次いで証言集『HOPE2』を出した。

その証言集から何十人かをセレクトして英訳するプランが練られている。

東洋大学国際地域学科の子島(ねじま)進准教授と、昨年暮れ、いわき市で被災者の支援活動を展開している「シャプラニール=市民による海外協力の会」を介して知り合った。

今年6月上旬、子島さんがゼミの3年生6人を連れていわきへ調査に来た(6月3日、同6日付小欄参照)。道案内を引き受けた。そのとき、彼らは豊間の人間(大工)のところで『HOPE2』に出合った。

東日本大震災と原発事故の現実を、インターネットを介して世界に発信しなくては――。いわきの被災地に立って学生が英語でレポートする、仲間がそれを撮影する。そのための現地調査だった。その発展形として、学生による『HOPE2』の英訳プランが浮上した。

おととい(9月4日)、子島さんがいわきへやって来た。初対面の若い仲間との打ち合わせに立ち会うかたちで加わった。大筋で話は決まった。『HOPE2』に収まった人は、活字になることは了解しても、ネットに英語で登場することは「想定外」だ。その了解をとらないといけない。若い仲間たちには次につながる希望の作業になるだろう。

被災地の現実を知ってほしい――。3・11から1年半がたとうとしている今、国内から海外へ、そのために英語で発信を、という思いが被災地側にも、支援者側にも強くなりつつある。風化と忘却への危機感がそうさせるのだ。時間はかかるだろうが、学生の奮闘に期待したい。

2012年9月5日水曜日

食害、今年も


葉っぱが今年も赤みがかったなと思ったら、たちまち一帯の木々が似たような“症状”になった。全体が枯れ葉色になったソメイヨシノもある=写真。放射能のせい?ではない。

アメリカシロヒトリが今年も夏井川の岸辺林で大発生し、オニグルミやヤナギの葉を食害している。国道6号常磐バイパスの終点・夏井川橋のすぐ上流両岸の異様な光景だ。

枯れ葉色のソメイヨシノは、それからさらに上流の堤防にある。その木だけピンポイントで狙われた。

異様な光景で思い出したことがある。昨年の春から初夏にかけて、「竹の葉が異常に黄ばんでいる、放射能のせい?」といろんな人から尋ねられた。

旧友のフリーライターも、ある雑誌に「新緑のはずの竹林が茶褐色になっているのも事実である。だが放射能との因果関係はわからない」、写真説明には「原発事故後、方々で竹林が茶褐色になる現象が」と、当たり前の現象をさも異常なように書いていた。自然に詳しいはずのおまえがなぜ、とがっくりきた。

俳句の春の季語に「竹の秋」がある。4月に黄ばみ始め、タケノコが採れるころに落葉することを表している。放射能に関係なく、孟宗竹の葉は春から初夏、茶褐色になるのだ。旧友のふるさとには孟宗竹がないのかもしれない。

ふだんは自然を忘れている人たちが、去年はたまたま黄ばんだ竹の葉を見て過敏になった。放射能の影響かと短絡しておびえた。

岸辺のヤナギの異変は、原因がはっきりしている。が、去年は最初よくわからず、いろいろ調べてアメリカシロヒトリにたどり着いたのだった。

散歩の途次、赤茶けた岸辺林を眺めながら、冷静に、しかしあなどらずに、ニュートラルな気持ちで自然を見る。特に、フクイチとの関連では――と自分に言い聞かせる。

2012年9月4日火曜日

畑がアパートに


近所に国道6号と旧国道をつなぐ“細道”がある。その道の側溝に一部、ふたがかけられた=写真。細道は、昔は“あぜ道“だった(ろう)。そんな細道が、新旧国道の間に張り巡らされている。

新旧国道の間に家が立ち並ぶ。その家並みにはさまれて畑が残る。そんな様子を、8月28日付小欄「スイカ被害」で少し書いた。その一部、義弟の家を含むわが家の裏手の畑がいよいよアパートに変わるらしい。そのための側溝整備だった。関係する業者が説明に来てわかった。

アパートに変わる畑は、結構広い。小学校の校庭の半分くらいはあるだろうか。そこに2階建てのアパートが4棟建つ。マンションではないから、日照の影響は受けない。建設同意書に署名して判を押した。

3・11の津波被災者、あるいは原発避難者のためのアパートかと聞けば、違うらしい。そういう人たちも入居するかもしれないが、単に若いファミリー向けが3棟、独身者向けが1棟ということだった。税金対策を兼ねた、ごく普通のアパート建設だろう。

畑の一部を入居者の家庭菜園用に残すという。このへんは、目いっぱい土地を使ってアパートにするのとは、多少違う。新しいアパート経営のかたちといえるかもしれない。

いわき市は市街化区域内に多くの未利用地を抱えている。わが家の裏手の畑がそれに当たる。家並みに囲まれた周辺の田畑も一部、宅地化された。震災後、そうしたケースが散見されるようになった。都市計画上は歓迎すべきことなのだろう。が、地域との“共生“という点では悩ましさが募る。

2012年9月3日月曜日

土砂降り


こよみが8月から9月に変わったとたん、雨が家の屋根をたたき、森や田畑を濡らし、大地を潤した=写真。いわきの8月は小名浜で雨量13ミリ。ほとんど「雨なし月」だった。それが9月1日夜、待望の雨になり(小名浜で8・5ミリ)、2日も早朝から夜まで断続的に降った。小名浜で計56・5ミリと、まとまった雨量になった。

2日は日曜日。カミサンの買い物に付き合った。朝9時に中神谷を出る。その時点では、雨がやんで薄日さえ射している。常磐バイパスにのると間もなく雨脚が強まり、前がよく見えないほどの土砂降りになった。鹿島街道へ降りると、今度は降ったりやんだり、ときに土砂降りになったりと、落ち着かない。

鹿島街道で用を済ませたあとは平の街へ。ここでは、雨は一服していた。いわき駅周辺の3カ所に寄ったあと、昼下がりに帰宅すると急に土砂降りになった。雷も鳴った。家の窓を閉めたまま出かけ、帰宅しても開けずにおいたのは正解だった。

気圧の谷の影響で大気の状態が不安定になっていると、テレビは報じていた。同じいわき市内でも降水量に違いがあるのはそのためだろう。2日間でヤマの川前は43・5ミリ、マチの平は30・5ミリ。同じ平の中心市街地と神谷とでは、降水時間も、降水量も違っていたはず。車で動き回り、福島気象台の降水量を何回かチェックして、そう推測できた。

カラカラに乾いていた畑には慈雨になった。私もきのう(9月2日)、お盆以降では初めて茶の間で昼寝ができた。

2012年9月2日日曜日

ハクビシン昇天


早朝の散歩はいつも、旧国道~常磐バイパス終点(草野の森)~国道6号(横断)~夏井川堤防~国道6号(中神谷の歩道橋)~旧国道と、わが家を起点に一周するコースをとる。草野の森を過ぎて6号に出たら、動物が死んでいた=写真。タヌキかと思ったが、鼻筋が白く、尾が長い。ハクビシンだった。

旧国道の両側には住宅が密集している。中に一部、畑が残る。国道から堤防の間には昔からの畑が広がる。家々が立ち並ぶ。要するに、自然も残るが人間の暮らしが色濃くにじんでいるところ。畑あり、ごみ集積所あり、ねぐらになりそうな物置・住宅ありで、ハクビシンには格好の生息環境なのだろう。

夜行性のために、ハクビシンにお目にかかることはまずない。ましてや野生動物にはうといから、死骸を見て初めてハクビシンの生息を知ることになる。

今はスペインに戻った草野弥生さんの実家(内郷)のレンガ造りの蔵にも、ハクビシンが巣食っていた。

3・11からちょうど1カ月後、4・11の直下型地震で被災し、草野家では母屋などを解体せざるを得なくなった。救出できる民具がないか――カミサンが草野さんと蔵の2階に上がったら、フンだまりがあった。ハクビシンは木登りが得意だという。蔵のそばに梅の木があった。その木を伝って侵入したか。

ハクビシンの行動範囲は広い。雑食性で、えさには事欠かない。カラスがスイカをつついた話を書いたが、こんなことも考えられるのではないか。昼はカラスがスイカをつつき、夜はハクビシンが前脚を入れて果肉をかき取る。だから、たちまちスイカは破裂したゴムボウルのようにペシャンコになったのだと。

鳥、虫、魚、アブラコウモリ(イエコウモリ)、トカゲ、ジムグリ、ネズミ、アマガエル……。身の回りで見かける生物に、死物(しぶつ)のハクビシンが加わった。
 ×    ×    ×   ×
9月に入って待望の雨。昨夜(1日)は少し。けさは6時前から。いわき市議選(きょう告示)が雨を呼んだ?

2012年9月1日土曜日

フレコンバッグ


「フレコンバッグ」というものがある。最近まで知らずに「大きな土嚢」と言ってきた。防波堤代わりの黒い土嚢がそれだ。青い色のものもある=写真。耐候性・防水性に優れているという。きのう(8月31日)夕方、川内の獏原人村・風見正博さんがわが家に卵を持って来たので、そのことも含めて少し話をした。

彼は「養鶏農家」だ。鶏を飼い、卵を売って暮らしている。彼が届ける卵を、3・11前も後も食べている。昨年5月初旬には、卵の入ったパックに放射性物質(核種)検査報告書が添えてあった。むろん、問題なしだ。それでも卵の購入をやめる人はいたという。

フレコンバッグを含めた話をしたのは、川内村が進めている民間住宅の除染作業について、当事者の感想を聞きたかったからだ。獏原人村で、彼が毎年実施している「満月祭」をネットで検索したら、彼のブログにたどり着いた。彼のところでも7~8月にかけて除染作業が行われた。

8月12日に小欄で書いたことだが、田村市常葉町の実家への行き帰りに川内村を通った。「民間住宅の除染作業をしています」という立て看に遭遇した。その立て看の先、山裾にある家とは道路をはさんで反対側の山裾に、青いフレコンバッグが置かれていた。写真がそれだ。中身は除去土だろう。

行きずりの人間の目ではなく、住んでいる人間から除染作業の様子を聴きたい――と思っていたら、格好の資料(ブログ)に出合った。彼は書く。

「宅地はバックホーで土を取ってフレコンバックとか言う青い大きな袋に入れる。1袋1万円以上するらしい。ドームの周り、お祭り広場、駐車場、何故かトタンで囲った畑やハウスのまわりなど200袋以上はとったんじゃないだろうか? そのあと砂を入れる」

「鶏小屋も建物なのでその周りも全部土取り。鶏小屋の周りは砂入れは断った。道には砂利を入れてくれるのでドームへの道も全部砂利が入った」

「田んぼや畑は別に農地としてやることになっている。これは自分でやれば1反3万円ぐらいにはなるとのことでとりあえず自分でやることに」

あらかた作業が進んだ段階で線量はだいぶ減ったという。家の外で0.2~0.25マイクロシーベルト/時、家の中で0.14マイクロシーベルト/時。

で、聞きたかったことは、汚染土の入ったフレコンバッグ(正式にはフレシキブル・コンテナ・バッグ)がどこに置かれたのかということ。「持って行った」。ということは、村のどこかに仮置場が設けられたのだ。

あとで検索したら、警戒区域内の下川内・鍋倉地区にある村有地が仮置場になった。地図や動画からは、人里離れた山中に設けられたという印象が強い。してみると、私の見たのは、そこへ運びこむ前の「仮〃置場」のフレコンバッグだったか。どこでもそうだが、仮置場が決まらなければ除染作業は進まない。