2013年7月18日木曜日

祇園祭

京都に着いて初めて祇園祭が行われていることを知った。街の中に「山鉾」が立っている=写真。行き交う人もふだんより多いとバスガイドさんがいう。

5月、夏井川渓谷の埴生の宿(無量庵)に同級生がつどい、ほろ酔い気分で今年の“修学旅行”先を話し合った。みんなの仕事や体調その他を考えて、7月13~15日の3連休に京都へ行こう、となった。それだけの話で、祇園祭のことは念頭になかった。そもそも京都の年中行事については知識がない。

さっそく、無料で配られている京都新聞発行の「祇園祭特集2013」(タブロイド判8ページ)に目を通す。私たちのような観光客向けのフリーペーパーだろう。祭りの歴史、「山」と「鉾」の違い、主な行事日程などをざっと学習した。

「京の都で疫病が度々流行した平安時代、当時これは怨霊の仕業と考えられ、頻繁に厄よけ祈願の祭礼が行われていた。869(貞観11)年には、当時の国の数にあたる66本の矛が神泉苑に立てられ、悪霊退散が祈願された」。これが祇園祭の始まりだとか。

貞観11年といえば、東日本大震災と同規模の「貞観地震」が発生した年だ。みちのくの天変地異も念頭においての悪霊退散祈願だったか。

きのう(7月17日)、メーンの山鉾巡行が行われた。テレビニュースを見ながら、13日、14日(宵々々山)、15日(宵々山)の京のにぎわいを思い出していた。汗と雨の時間も。いわきは肌寒い日が続いている。

2013年7月17日水曜日

まるで雨季

この連休、京都を巡り、奈良へも足を運んだ。京都ではたびたび雨に見舞われた。どんよりして蒸し暑い中、ホテルに着くとすぐ最初の“スコール”がやってきた。窓から雨を眺めていたら、南隣の大きな建物(本願寺聞法会館)にたちまち三段の滝ができた=写真。

今度の旅に参加した同級生は8人。還暦を機に“修学旅行”を始めた。毎回参加している。最初の年(2009年)に北欧を旅した。フィヨルドの玄関口、ノルウェーのベルゲンは「1年に400日は雨が降る」といわれるほど雨の多いマチ。空港からマチへ近づくと、直前の雨で岩山に滝ができていた。京都入りしてすぐにそのことを思い出した。

2回目は台湾へ。台風の影響で新幹線を利用した高雄観光が中止になった。昨年訪れたカンボジアも雨季のさなかで、一日に何度も雨に見舞われた。京都は、蒸し暑いうえにたびたび雨が降る、という点では、カンボジアに似ていた。まるで雨季ではないか。

初日夕方、京の繁華街へ繰り出すとまたまた雨。仲間の傘に入ったものの、体半分がずぶぬれになった。我慢できずにコンビニに飛び込んでビニール傘を買う。傘の用意をしなかったのは、いわきからの2人だけ。3日間、雨の神様のおかげで傘を手放せなかった。

2013年7月16日火曜日

ホーム案内

早朝のいわき駅1番線ホーム。特急「スーパーひたち」のドアが開くまで、あたりをブラブラしていたら、階段手前に架かるホーム案内が一部黒くなっているのに気づいた=写真。“張り紙”のようだが、内側の電光が強くて下の字まで透けて見える。上の字と下の字がダブっているので、なんて書いてあるかよくわからない。近づいて確かめると――。

4・3番線ホームは常磐線、6・5番線は磐越東線と常磐線である。常磐線のうち、下りは「原ノ町・仙台方面」の表示がなされていたのが、いわき駅からたった23キロ北の「広野方面」に変わった。同じく磐越東線も、「小野新町・郡山方面」の上に「郡山・仙台方面」の“紙”が張られた。

いわき~仙台駅間はざっと150キロ。常磐線は主に太平洋沿岸部を走るため、東日本大震災では津波で壊滅的な被害を受けたところもある。そのうえ、沿線の双葉郡では福島第一原発で過酷事故が起きた。事故の収束作業が今も行われている。原発の南側ではそれで広野駅までしか復旧していない。

2012年のお題は「岸」だった。歌会始で披露された元福島高専校長寺門龍一さんの作品「いわきより北へと向かふ日を待ちて常磐線は海岸を行く」を思い出す。寺門さんは茨城県に住む。常磐線を利用して自宅と校長官舎の間を行き来した経験がある。常磐線の全面復旧に被災地の復興を重ね合わせた。

ホーム案内の表示変更から、あらためて常磐線の厳しい現実に思いが至る。一部では内陸移転の計画があるようだが、それらを含めて全面復旧にはどのくらいの年数がかかるのだろう。しかし、生きているうちに「スーパーひたち」に乗って仙台の朋友のもとへ――そのくらいの夢はもつことにしよう。

2013年7月13日土曜日

ネジバナを真上から見たら

わが家の庭にはないが、となりのコインランドリーの駐車場、近所のおじの家の庭にネジバナが生え、花を咲かせている。夏井川渓谷の無量庵の庭は、それこそネジバナの天国だ。年を追って増えている。

ネジバナは、らせん状に咲くからその名がついた。その花を真上から見たら、「風車(かざぐるま)」になっていた=写真。花の径は5ミリあるかないか。へたな撮影だからこんなものだが、焦点深度を計算できるプロのカメラマンだと、もっと面白い写真が撮れるにちがいない。

それはともかく、きょうはこれから京都へ出発する。朝6時すぎ、「スーパーひたち」で上野へ。東京から新幹線で京都へ。

京都へ行くのは何十年ぶりだろうか。18歳、高専3年修了後の春休みに関西方面への修学旅行が行われた。今も覚えているのは京都で朋友と2人、今でいうディスコへ繰り出して門限破りをしたことだ。踊りに来ていた同年代の「京女」が、「東男」にやさしく接してくれた。

「京文化」の真髄に触れる――が今回のテーマだ。ということで、2,3日ブログを休みます。

2013年7月12日金曜日

キノコに降りかかった原発災害

いわきキノコ同好会の会報第18号=写真=が届いた。冨田武子会長が「キノコに降りかかった原発災害Ⅱ」を書いている。栽培・天然両方のキノコについて、いわき市とNPO法人が測定した放射線量結果(平成23年4月1日から12月31日までの680件)を一覧表にし、考察している。

最大値はシイタケ1万6190ベクレル(キログラムあたり=四倉)。次いで、クサウラベニタケ7660ベクレル(三和)、チチタケ7180ベクレル(三和)など、1000ベクレルを超えたキノコは40件余。最高級菌のコウタケは最大2061ベクレル(川前)だが、ゆでたものはゼロか3.6ベクレルと低い数値にとどまっている。

冨田さんは一覧表からみてとれることとして、①同一地域内の産物でも放射能値に差がある。同様に、同種であっても値が極端に異なるものがある②食材であるキノコをゆでて水洗いしてから測定すると放射能は激減する。ただし、風味は失われる③傾向として原発に近い方の場所や山間部のキノコは放射能値が高い傾向がみられる――などを挙げている。

前から頭に引っかかっていたことがある。クサウラベニタケだ。毒キノコをなぜわざわざ測定したのだろう。食菌のウラベニホテイシメジなら話はわかる。そもそもウラベニホテイシメジと誤認して、クサウラベニタケを食べて中毒事故を起こすくらいだから、両者は似ている。ただ、ウラベニホテイシメジからはこんなに高い数値は出ていない。

会報には、広井勝郡山女子大教授が「野生きのこ、落ち葉の放射性セシウム濃度の動向」と題して、特別寄稿をしている。針葉樹の落ち葉の放射性セシウム濃度は落葉広葉樹などに比べて10倍程度高い、1年後に同一場所で採取したキノコで非常に数値の高いものがあった、その反対もある、といった分析結果を紹介している。

広井さんはいう。2012年度は「2011年度に採取した落ち葉と比較すると、針葉樹、広葉樹とも放射性セシウム濃度はほぼ半減していた」。しかし「針葉樹の葉はいまだ放射性物質の濃度が高く、森林の空中放射線量に大きく影響を及ぼしている」。敵がだれでどこにいるか、再確認をしないといけない。

2013年7月11日木曜日

ルリタマアザミ

知り合いの花屋さんに行ったら、ルリタマアザミがあった=写真。2本を買い、1本は被災者のための交流スペース「ぶらっと」に、もう1本はわが家に飾った。この花に引かれるのは、若いときに堀川正美さんの詩集『枯れる瑠璃玉』を読んだから。「聖母子像」の幼児とルリタマアザミを配した表紙のデザインが忘れがたい。

3・11で本が総崩れになった。読みたくてもどこにあるかわからない本がたくさん出てきた。『枯れる瑠璃玉』もその1冊だった。それから2年余。またどこかにまぎれてしまった。私はどちらかといえば片づけない性質(たち)、カミサンはときどき爆発的に片づける性質だ。この半月、折に触れて探しているものの、まだ見つからない。

その過程で、別の小冊子が出てきた。昭和42年3月発行の平高専(現福島高専)学生会誌「ひゞき」第2号。高校・短大に対応する5年制の工業専門学校で、この年初めて卒業生が社会に巣立った。西暦でいえば1967年、今から46年前だ。

初代校長が「高専の前途」について書いている。座談会「われわれはこう考える 学生の政治参加について」の記事が載っている。「劣等感を捨てよ」と題した物理教官の文章には鬼気迫るものがある。「1時間の授業に対して平均9時間以上の準備をして教壇に立った」。あの白熱の授業の裏にある刻苦勉励に、この年齢になってやっと気づいた。

最初の卒業生はもう67歳、私たちは3期生だから65歳。その後、弁理士になり、弁護士になり、医師になり、声楽家になりと、「脱工業」を生きた先輩が何人もいる。むろん、おおかたはエンジニアとしての人生を送った。その朋友たちの人生を重ねながら、文章を読んでみるのも面白い。

あさって(7月13日)、いつもの同級生が京都駅につどい、2泊3日の「京文化研修会」を敢行する。学生会誌に名を連ねた仲間がいるので、この冊子を携行しよう。海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」ではないが、半世紀前の「若気の至り」を酒のさかなにする、いい機会だから。

2013年7月10日水曜日

スズキのあら汁

夏から秋、日曜日の夜はカツオの刺し身と決めている。染付の「マイ皿」を持って魚屋さんへ出かける。たまに「あら」をもらう。このごろはカツオのあらよりヒラメ、ヒラメとスズキがあればスズキのあらを選ぶ。あら汁にする=写真。さっぱりした、上品な味が好ましい。

3・11前はもちろん、魚屋さんが扱う魚は地場物だった。漁協が操業を自粛している。ときどき新聞に「緊急時モニタリング検査結果」が載る。最新のデータでは、エゾイソアイナメ(ドンコ)だけが100ベクレルを超えていた。9月にはいわき沖でも試験操業が始まる。ようやくそこまできた。

ところが、魚屋さんの心配は消えない。「米は全量検査ができるが、魚は……」。鮮度の問題がある。「枯れる」農産物とちがって水産物はすぐ「腐る」。安全と鮮度をどう両立させるか。

そのうえ、気になることがある。報道によると、福島第一原発で海側にある観測用井戸の水から高濃度の放射性物質が検出された。しかも、この3日間で数値が急上昇しているという。漁業者はもちろん、魚屋さんも、消費者も海への流出を懸念している。怒りのこぶしを振り上げなくてもすむように。そう祈るしかない。

折から、原発事故時に指揮を執った前所長の訃報がメディアを駆け巡った。その死を悼むのにやぶさかではないが、問題はやはり汚染地下水の行方だ。大地をけっぺずらずに立てていれば――「カツ刺し」に引かれていわきに根を生やした人間の思考は、詮無いことと知りながらいつもそこへ帰っていく。