2013年7月11日木曜日

ルリタマアザミ

知り合いの花屋さんに行ったら、ルリタマアザミがあった=写真。2本を買い、1本は被災者のための交流スペース「ぶらっと」に、もう1本はわが家に飾った。この花に引かれるのは、若いときに堀川正美さんの詩集『枯れる瑠璃玉』を読んだから。「聖母子像」の幼児とルリタマアザミを配した表紙のデザインが忘れがたい。

3・11で本が総崩れになった。読みたくてもどこにあるかわからない本がたくさん出てきた。『枯れる瑠璃玉』もその1冊だった。それから2年余。またどこかにまぎれてしまった。私はどちらかといえば片づけない性質(たち)、カミサンはときどき爆発的に片づける性質だ。この半月、折に触れて探しているものの、まだ見つからない。

その過程で、別の小冊子が出てきた。昭和42年3月発行の平高専(現福島高専)学生会誌「ひゞき」第2号。高校・短大に対応する5年制の工業専門学校で、この年初めて卒業生が社会に巣立った。西暦でいえば1967年、今から46年前だ。

初代校長が「高専の前途」について書いている。座談会「われわれはこう考える 学生の政治参加について」の記事が載っている。「劣等感を捨てよ」と題した物理教官の文章には鬼気迫るものがある。「1時間の授業に対して平均9時間以上の準備をして教壇に立った」。あの白熱の授業の裏にある刻苦勉励に、この年齢になってやっと気づいた。

最初の卒業生はもう67歳、私たちは3期生だから65歳。その後、弁理士になり、弁護士になり、医師になり、声楽家になりと、「脱工業」を生きた先輩が何人もいる。むろん、おおかたはエンジニアとしての人生を送った。その朋友たちの人生を重ねながら、文章を読んでみるのも面白い。

あさって(7月13日)、いつもの同級生が京都駅につどい、2泊3日の「京文化研修会」を敢行する。学生会誌に名を連ねた仲間がいるので、この冊子を携行しよう。海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」ではないが、半世紀前の「若気の至り」を酒のさかなにする、いい機会だから。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

この年齢になってやっと気づいた!

そんなことが目立ってきました。

もっと若いうちから知っていればいまさら苦労はしないのにと。

ままならないそれが人生なのかも知れない。