2020年7月7日火曜日

台風19号㊼サイクリングロード復旧

 梅雨前線による九州の豪雨被害が続く。去年(2019年)のいわき市の台風19号被害を思い浮かべながら、テレビを見ている。ヒトゴトではない。台風19号も九州豪雨も、「これまで経験したことのないような」気象災害になった。
  台風19号から早くも9カ月。甚大な被害に見舞われた夏井川流域の平・平窪地区などの周辺地区でも、ようやく復旧工事が始まった。

6月28日の日曜日、薄磯へ行くのに市北部浄化センター前の堤防を利用した。サイクリングロードをふさいでいる流木などの「災害ごみ」はそのままだった。1週間後のおととい(7月5日)、夏井川渓谷の隠居からの帰り、いつもの魚屋さんへ行くのに遠回りしてこの堤防を利用すると、サイクリングロードが復旧していた=写真上。

拙ブログから時系列でこの災害ごみの様子を見てみる。10月中旬――。台風一過後も川の水位は上がったままだった。10月17日早朝、水位が下がったのを見て、約5キロ先の海まで車で行ってみた。北部浄化センターの排水口付近は、これまでも大水が引くと流木その他のごみで河川敷のサイクリングロードがふさがれていた。今回は延々と50メートル近く、残留ごみの山ができていた=写真下。
その半月後、11月初旬――。「中止してはどうか、という声もありますが」「こんなときだからこそやりましょう」というわけで、11月3日、神谷市民歩こう会を実施した。コースは神谷公民館から夏井川河口までの往復約9キロ。堤防の上から1メートル前後までの残留ごみだけを拾いながら、河口の沢帯(ざわみき)公園を目指して歩いた。

 この日は下流の草野地区でも、堤防の草刈り・ごみ拾いを実施した。草刈り組に旧知の人間がいた。残留ごみの処理について聞くと、「地元では対応できない、『災害ごみ』だから行政でやってもらうしかない」

 半月前の6月下旬――。サイクリングロードをふさいでいる「災害ごみ」の山に草が生え始めていた。このまま根っこを生やしてしまうのかと思っていたら、7月最初の週に重機が入ったようだ。

 平市街から下流の夏井川は、蛇行しながら太平洋へと向かう。河川敷は広い。大水が出るたびに上流からごみが、草木の種が流れ着く。水辺のヤナギ、河川敷のニセアカシア、イタチハギ、オニグルミなどはそうして根づいたのだろう。

 この河畔林がしかし、地元では心配のタネになっている。木々が生い茂っているために大水の流れを阻害している、伐採を――というのが関係する行政区の声だ。浄化センター脇の災害ごみも、岸辺の木々に流れを遮られて流木などが次々に堆積した。

どこでも「これまで経験したことのないような」気象災害が起こり得る。台風19号のときには、いわき市で初めて大雨特別警報が発表された。夏井川がまた暴れたら、今度はわが生活圏が危ない。

2020年7月6日月曜日

キリの木を切ってもらう


夏井川渓谷の隠居の庭にキリの木がある。もう老木だ。幹は空洞化してとっくに折れ、脇から伸びた2本の枝がまっすぐ天を目指して子枝を広げている。根っこを持っているわけではない。自重に耐えられなくなるころ、強風が吹くと折れる。そのつど側枝が幹のように伸びる。するとまた折れる。また伸びる――。
 
拙ブログを始めた2008年以降でいうと、最初の折損は2009年9月13日だった。雨上がりの日曜日、時間がたつにつれて西風が強まり、時折、突風が吹いた。その突風に4本あるうち一番太い枝が激しい音を立てて折れた。見上げている分にはそう感じないが、折れるとかなりの面積をふさぐ。あとの始末が大変だった。

次は2016年8月31日。隠居へ着くと、キリの太い枝が折れて庭をふさいでいた。何日か前の台風にやられた。幸い、前もこのときもそばの物置の屋根を直撃するようなことはなかった。

 菜園は、南のシダレザクラ(2本)、東のキリ、西のヒノキに囲まれている。それで年々、日射量が減っている。折れる前にキリの側枝を切って、菜園の光を増やすことにした。

余技というと語弊があるが、木に登って剪定(せんてい)しながら幹を伐採できる後輩がいる。ふたつ返事で引き受けてくれた。雨上がりのきのう(7月5日)朝、一足早く隠居へ着いて待っていると、やって来た。地下足袋をはき、命綱を身につけ、さらに別のロープを高い枝に引っかけて、濡れた幹を少しずつ登ってゆく。

そのしぐさから宮崎県延岡市の郷土玩具“のぼりざる”を思い出した。「のぼりざる」は、風を受けると柱を登っていく。磐城平から延岡へ転封された内藤家の家臣の奥さんたちが手内職として始めた、その前からつくられていた――と諸説あるようだが、後輩の木登り術はこの“のぼりざる”そっくりだ。

登れるところまで登って太い子枝に足をかけ、ロープでチェンソーを引っ張り上げて枝を切っていく=写真上。それが終わるとまた少し下に陣取ってチェンソーを操る。チェンソーの威力はなかなかのものだ。あっという間にキリの木は古い幹だけになった。

それからが一仕事である。人力で運べるように子枝を払う、径20~15センチはある太い枝を、ざっと30センチほどの長さに切断する。結局、2本のキリの枝を切り刻むのに半日を費やした。

洞(うろ)のできた幹の内部をのぞくと、キノコが生えていた=写真右。枯れ幹などに発生するヒトヨタケ科のイタチタケ、ないしセンボンクズタケに似る。キノコが幹本体を分解しつつあるといっても、キリの木はさらにいのちをつなごうと側枝を伸ばす。植物の生命力には圧倒される。

 10時のお茶と昼食は濡れ縁でとった。学生寮で知り合ってから半世紀余。近年、実家に“単身帰省”したので、つきあいが復活した。まだ元気なつもりでもすぐに息が切れる、筋力が衰えたので木登りが年々厳しくなった、夜は9~10時に寝て朝は4時ごろ起きる――おたがい、若いつもりでも“老少年”になった。脳内もうすぼんやりしてきた。で、きのうは大事なものを隠居に置き忘れてきた。これから取りに行く。

2020年7月5日日曜日

マイクロツーリズム

 いわきで旅行業を営む後輩が、フェイスブックに業者として福島県民限定宿泊割引を利用した話を載せた。小名浜の割烹旅館天地閣に泊まって、アクアマリンふくしまの先に沈む夕日と海の幸を楽しんだ、奥さんも大満足だった、という。
正式には「福島県観光周辺宿泊支援対策事業」というものらしい。コロナ問題で打撃を受けた県内宿泊施設の再生が目的で、県内在住者なら1人当たり7000円以上の宿泊に対して5000円が補助される。つまり、最低2000円で身近な旅館の味とサービスを楽しめる、というわけだ。

コメントには、さらにマイクロツーリズムからの観光の復活に期待を込めて、予約の電話応対に頑張る――とあった。事業の中身を調べたら、期間は7月31日まで延長、宿泊助成を取り扱う旅行会社が同4~6日に電話・ネットで予約を受け付ける、とあった。後輩の会社は4日と6日の電話予約だけで、4日はすでに終了している。

マイクロツーリズムは「コロナ時代」の観光のありかたを示す概念らしい。新型コロナウイルスによるパンデミック(世界的大流行)で、インバウンド(外国人訪日旅行)は当面、期待できない。それに代わる旅行形態として、自国民が気軽に楽しめる近場の観光、つまりマイクロツーリズムが想定される。それからの観光再生を、ということなのだろう。

自宅から自家用車で30分~1時間で行ける範囲で、在宅ワークなどで疲れた心と体を、「上げ膳据え膳」で癒す。それが、冷え切った国内観光関連事業の支援になる。地域の再発見にもつながる――ネットであれこれ探ったら、そんなイメージが浮かんだ。

いわきは、全国でも有数の広域都市だ。昭和41(1966)年に14市町村が合併して「いわき市」が誕生し、市域では日本一になった(当時)。面積が広いために、ハマの人間はいわきのマチやヤマを知らない、ヤマの人間はいわきのマチやハマを知らない、マチの人間はいわきのヤマもハマも知らない――といった状況が今も続いている。

いわき市民がいわきを知るためにも、私は、いわきでは「域内観光」が必要だと思っている。市外からの観光客も大事だが、市民が地域をよく知るための域内観光も大事だと。マイクロツーリズムとはつまり、この域内観光のことではないか。

 若い知り合いがフェイスブックで「GO TO IWAKI いわきふしぎ発見!!」を始めた。「テイクアウトいわき」に続く取り組みで、目的としてはマイクロツーリズムと重なるところがあるように思う。

 マイクロツーリズムと「GO TO IWAKI」を重ねたところで、真っ先に思い浮かんだのが遠野町入遠野の「入定(にゅうじょう)」。そこの夕方の景色に目を奪われたことがある。

古巣のいわき民報で同僚のカメラマンと一緒に訪ね、夕暮れの写真を撮った。平成3(1991)年元日号の第3部<特集 私選・いわき14景>のなかに、「入定晩煙 遠野」と題して載せた=写真。

夕暮れはどこでも美しい。なかでも、入定の夕暮れは格別だった。いわきのあちこちで夕暮れを見てきた人間はそう思う。マイクロツーリズムというのは、こうした小さな、しかし思い出に残る土地の魅力や歴史、自然、文化と出合う旅のことなのだろう。

2020年7月4日土曜日

カラスには負けられない

 カラスにつつかれてごみネットが破けた=写真。何年か前、新しいネットにした。おととし(2018年)夏には、ナイフで1.5メートルほど切り裂かれたように破けたが、応急的にたこ糸でつくろった。今回は、それとは別のところだ。ここまでやられたら新品を買うしかない。
 家庭から排出されるごみには人間の意識が反映される。少しでもマナー違反があると、カラスは目ざとくそこを突く。コミュニティ=ゴミュニティには、ごみと人間のほかにカラスが加わる。カラスとの知恵比べに負けるわけにはいかない。カラス研究の最新成果を絶えず得るように心がけている。2年前の拙ブログから――。
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カラス研究の第一人者、杉田昭栄・宇都宮大学名誉教授が『カラス学のすすめ』(緑書房)という本を出した。

「今でもカラスは黄色が嫌いだと思っている方もいるようですが、(略)カラスに嫌な色はありません。あくまでも紫外線遮断効果がないと効果はないことを、この場でお伝えしておきます」

生ごみのカラス対策として有効と聞いてからは、わが区内のごみ集積所ではあらかた黄色いごみネットに代わった。しかし、黄色いごみ袋も含めて、それは誤解だった。色に関係なくカラスは生ごみの入ったごみ袋に群がる。

 色ではなく、紫外線カットができるかどうか、なのだという。「カラスは赤、青、緑、紫外線の四原色色覚をもっている」。これらの一つでもカットできれば、利口なカラスといえども色は識別できない。

 紫外線を透過させないごみ袋、つまり人間には中身が見えてもカラスには見えないごみ袋を企業と共同で開発した。ごみ袋の素材であるビニールにある原料を充填(じゅうてん)した結果、ごみ袋が黄色になった。実用化されて効果をあげたために、「黄色であれば何でもカラスが寄ってこないと勘違いされた」ともいう。この黄色いごみ袋はしかし、単価が高い。思うほどには普及していない。

 ではどうしたらいいのか。結局は、ごみを出す人間の側に問題があって、カラスを引き寄せているのだ、ということになる。カラスはそれだけではない。1羽がネットをくちばしで持ち上げる、別の1羽がごみ袋を引っ張り出してつつく――といった連係プレーまでやる。カラスの脳は体積比でニワトリの10倍もあるそうだから、あなどれない。

 わが区では独自に回覧チラシをつくり、これまでに二度、隣組に配った。「生ごみは新聞にくるんだり、レジ袋に入れたりして外から見えないようにしましょう」「ごみネットと地面の間にすき間があると、カラスが袋を引っ張り出します。重しを置くなどしてネットを開けられないようにしましょう」
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 ホームセンターへ行ったら、ごみネットの色は青しかなかった。前は黄色だけだった。青色から黄色へ、また青色へ――。今度のネットにはしかし、ひもが付いていない。強風が吹き荒れるときはどうしよう。ネットの一部を電柱に巻きつけるしかない? ひもの代わりに「おもりロープ」が付いているものだった。生ごみをめぐる人間とカラスの攻防も、研究も応用もエンドレスだ。

2020年7月3日金曜日

西洋野菜の食べ方

 お福分けが続く。アーティチョークを届けてくれた後輩が、今度はズッキーニを持ってきた。
 野菜といえばキュウリ、白菜、大根、カブ、ジャガイモなどが、わが家の定番。アーティチョークやズッキーニなどの西洋野菜は、まず食べたことがない。食べようと思ったこともない。しかし、海外生活を経験すると、向こうの野菜がなじむのだろう。手に入ったからには、どうしたらおいしく食べられるかを考える。

ネットで検索し、調理法を頭に入れて、アーティチョークの皮のとげを切ってゆで、さらに皮をむいて花托(かたく)を取り出して食べた。イモのようにホクホクした食感だった。

12年前、アーティチョークの苗をもらい、夏井川渓谷の隠居の菜園に植えたことがある。つぼみができたら、それを採って食べるつもりだったが、タイミングがずれて花が咲いてしまった。アザミに似た紫色のきれいな花だった。

その花をまた見たい。1個だけ残して花瓶に差した。後輩が届けてくれたのは6月12日。それから2週間が過ぎて花が咲き始め、7月に入った今は淡い紫色の管状花(かんじょうか)の集合体になった=写真上1。12年前の写真からすると、花はもっと大きくふくらむはずだ。

ズッキーニは、見た目はキュウリに似ている。食べ方も同じだろうと早合点して、まずは糠漬けにした。食べられないわけではない。が、どうもしっくりこない。カボチャを糠漬けにしたことがある。そのときの食感に近い。あるいはナスの舌ざわりに似るか。
次は輪切りにして油炒めにした(ここからはカミサンに頼んだ)。なんとか食べられるが、まだしっくりこない。そうこうしているうちに、フェイスブックで道の駅よつくら港にズッキーニが入荷した、みそ炒めがいい、とあったので、すぐまねをした=写真上2。油みそがからまって、確かにうまかった。

キュウリもズッキーニもウリ科の野菜だ。しかし、キュウリは「ウリ科キュウリ属」、ズッキーニは「ウリ科カボチャ属」。やはり、食べ方が異なる。さらに、テレビを見ていたら、修験の世界でも一般参加者がズッキーニのてんぷらを食べていた。カボチャのてんぷらはホクホクして甘い。その仲間のズッキーニだ。今度手に入ったらてんぷらにしよう。カミサンも同意した。

2020年7月2日木曜日

「エール」再放送

昭和の歌謡史を彩る福島市出身の作曲家古関裕而(1909~89年)と妻・金子をモデルにした朝ドラ「エール」の再放送を楽しんでいる。 
 
本編では、作曲家古山裕一(モデル・古関裕而)、作詞家村野鉄男(同・野村俊男=1904~66年)、歌手佐藤久志(同・伊藤久男=1910~83年)の、いわゆる「福島三羽ガラス」が東京で再会し、これから歌謡界に打って出ようというところで放送が一時休止になった。コロナ問題で収録がストップし、撮りおきがなくなったからだ。

半月ほど前の6月16日に撮影が再開されたという。本編の放送が再開されるまでは再放送で我慢するしかない、と思っていたが、タイムスリップしたような面白さがある。

このワンカットがあとであそこに生きてくるのか、あとのためにこのシーンがあるのかと、ついドラマの時空を行き来し、作り手の意思を推し量りながら見てしまう。老いた作詞家・村野鉄男が小学校時代の恩師の墓参りをするシーンには、貧乏だが筋を通す彼の子ども時代を重ねてジーンときた。

村野鉄男はガキ大将ながら、「古今和歌集」を読む文学少年だった。いじめられっ子の古山裕一を突き放しながらも見守っている。「やめろ、その笑い。悔しいことを笑ってごまかすな。このずぐだれが」。ずぐだれ=意気地なし。再放送でも、やはりこの「ずぐだれ」のシーンが胸に響いた。

「エール」の放送開始と前後して、古関裕而の評伝を読んだ。刑部芳則『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和史』(中公新書、2019年11月)=写真上=と、辻田真佐憲『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』(文春新書、2020年3月)=写真下=の2冊で、ともに昭和史のなかで古関の人生と作品を論じている。
明治42年に生まれた古関の少年~青年期を、大正~昭和初期のメディア環境のなかでとらえてみたい――そう思っていた私には、大いに参考になった。刑部は日大准教授。「エール」では風俗考証を担当している。

古関より一回りほど年長のいわきの人間、たとえば三野混沌(1894年生まれ、以下同じ)、猪狩満直(1898年)、草野心平(1903年)、若松(吉野)せい(1899年)たちは、若いころ、山村暮鳥を中心に文学活動を展開した。雑誌・新聞などの活字メディアが発表の場だった。

これに対して古関たちは、活字メディアだけなく、新しいメディアであるラジオにも影響を受け、表現の可能性を見いだしていったのではないか。

というのは、日本でラジオ放送が始まるのは大正14(1925)年3月だからだ。いわきの群像のなかで一番若い心平でも22歳になっている。影響を受けやすい少年期には、ラジオはなかった。いわきは文学、福島は音楽。その違いがラジオ放送の有無だったと決めつけるわけではないが、重要な要素になっていたのは確かだろう。

辻田本にこうある。古関が福島商業学校(現福島商業高校)に通っていたころ、「北原白秋や三木露風の詩を好んでいたことに加えて、『楽治雄』というペンネームを使っていた(略)。いうまでもなく、ラジオに影響を受けたものだった」。

再放送を見ながら、フィクションの向こう側に横たわっている昭和史を吟味する――朝8時からの15分間がそんな時間になった。

2020年7月1日水曜日

お福分けの習慣

1年の半分が終わった。振り返れば、新型コロナウイルス問題に明け暮れた半年だった。1月が過ぎ、2月に入るとメディアがたびたびコロナ問題を報じ、感染が中国から周辺国へ広まりはじめたと思ったら、あっという間にパンデミック(世界的大流行)になった。
  日本国内ではこの間、“3密”を避けるための催し自粛、学校や公共施設の臨時休業などの措置が取られた。夏に開催予定だった東京オリンピックは来年(2021年)に延期された。いわき市内でも、2月のいわきサンシャインマラソン大会が中止され、8月の小名浜の全国花火大会、平七夕まつり、いわきおどりも中止が決まった。

5月中旬に緊急事態宣言が解除され、世の中が落ち着くかと思ったら、また東京などを中心に感染者が増えている。第二波への警戒を怠るな、ということだろう。

「新しい生活様式」の実践が求められている。どんなことかといえば、マスクをする・身体的距離を保つ(ソーシャルディスタンス)・テレワーク・オンライン会議・食べ物の持ち帰り・宅配利用などだ。

 でも、ほんとうは、今、私たちが暮らしている社会のありようを問い直すことが必要になっているのではないか。自然資源を収奪することで成り立っている高度消費社会は、もう限界にきている。地球温暖化が気候変動をもたらし、さらにはコロナ問題を突きつけた――そうとらえることから始めるべきではないのか。

消費者は消費オンリーではなく、生産にも関与する。参考になるのは、『第三の波』のアルビン・トフラーがいう「プロシューマー」(生産消費者)だ。「プロデューサー」(生産者)兼「コンシューマー」(消費者)。カネではなく、家族や自分の満足のために生産する消費者になる――私はそこに、「新しい生活様式」の姿を見いだしたい、と思っている。

家庭菜園がその第一歩になる。土曜日(6月27日)のわが家の晩の食卓=写真。①厚揚げ・マダケ・アラゲキクラゲの煮物②しらす干しと青ネギの大根おろしあえ③キュウリ・トマト・レタスのドレッシングサラダ④ビワの実――の4品のうち、買ったのは厚揚げ・しらす干し・レタスだけだ。あとは採った・もらった・つくった――という流れのなかでお福分けにあずかった。

グローバリズムを否定はしないが、大量生産・大量消費・大量廃棄の流れはできるだけ変えたい、とは思っている。自分でも自家消費をするくらいのネギやキュウリ、トウガラシは栽培する――そういったローカリズムの流れが広がれば、事態は少しはいい方向に進むのではないか。

庭があれば家庭菜園を、庭のない人でも軒下やベランダでバケツに土を入れてキュウリを、ナスを栽培してみる。3密対策になる。余れば「お福分け」を考える。

高度経済成長時代の前は、「お福分け」は当たり前の習慣だった。豆腐も鍋を持って買いに行った。なにも「新しい生活様式」ではない。昔やっていたことを参考にすればいいのだ。きょう(7月1日)からはすべての小売業でレジ袋が有料化される。それもまた脱「消費オンリー」のきっかけにはなる。