2022年10月14日金曜日

吉野せい賞と記念講演

 年に一度、いわき市役所の記者クラブに出向く。市文化交流課が事務局になっている吉野せい賞の発表が行われる。

 主催は市と同賞運営委員会で、運営委員長、同課の課長とともに、私も会見に臨む。5人の選考委員を代表して、受賞作品の選評と総評を述べる。今年(2022年)は10月11日に行われた。

 同賞には正賞(せい賞)、準賞、奨励賞がある。今回は半澤りつさん(好間)の小説「辿(たど)り道」が準賞に入った。奨励賞は春乃礼奈さん(平)の小説「夫の羽」と、伊藤均さん(同)の小説「人間模様」の2遍で、正賞は残念ながら該当作品がなかった。

 中学生以下を対象にした青少年特別賞には2編が選ばれた。中学3年武藤梨愛(りあ)さん(錦)の小説「開幕ベルが鳴ったら」と、同2年米澤咲(さくら)さん(内郷)の小説「届かない声」で、中学生からの応募増を反映する形で複数受賞となった。

 8月中~下旬のおよそ2週間、一日に2~3編、集中して作品を読んだ。ちゃんと換算したことはないが、何十万という文字を目で追う作業だ。

 ただただ疲れる年もあるが、今年は読むのが楽しかった。楽しいと疲労はそんなに感じない。めったにない経験だ。正賞はなかったが、全体的にレベルが高かったということができる。

 11月5日にいわき市立草野心平記念文学館で表彰式が行われる。そこでも選評と総評を述べる。それで今年の選考委員の仕事が終わる。

 表彰式のあとに開かれる記念講演は欠かさず聴いている。今年は仙台市在住の作家佐伯一麦さんだ=写真(チラシ)。想像と現実が交錯したような作風が好きで、震災前は一時、集中して読んだ。

 仲間と北欧のスウェーデン・ノルウェー・デンマークを旅した直後、佐伯さんがノルウェーを舞台にした小説(『ノルゲ』)を書いていることを知った。

 草木染め作家の奥さんが1年間、装飾テキスタイルを学ぶためにノルウェーに留学した。そのため、向こうで一緒に暮らした。そのときの体験などが下敷きになっている。

 最初に読んだのは『川筋物語』。仙台市を流れる広瀬川をさかのぼり、最後は本流・名取川河口へ戻って来るルポ風物語だ。

その物語が終わったあとに、まるで付録とでもいうかのようにノルウェーのある川の遡上記が載っていた。地球のさいはての川の話ではイメージが浮かばないので、読み残した。

北欧旅行後、『ノルゲ』を読み、『川筋物語』の「アーケルス川」も読み、さらに『まぼろしの夏その他』と『マイシーズンズ』を読んだ。

作品の主人公が「おれ」や「男」になっていても、基本的には佐伯さんの「私」の視点で書かれている。「私小説」であり、「私(し)随筆」だ。その作風に親しいものを感じてきたので、今回の記念講演にはとても興味がある。

 演題は「厄災と文学」。災厄ならむろん、東日本大震災と原発事故のことだが、それを越えたものなのだろう。その話からまたいろいろ刺激を受けるにちがいない。 

2022年10月13日木曜日

スッポンタケの幼菌

                       
 日曜日(10月9日)に後輩が夏井川渓谷にある隠居の庭の草刈りをしてくれた。2回目(8月5日)の草刈り時には、上下の庭をつなぐ桟橋の上にマムシがいた。「今回はいなかったね」「あれからほどなく姿を消した」。そんな話から始まった。

 下の庭を刈り終わると、「キノコっぽいものがある。去年(2021年)もあった」という。上の庭からも、それがはっきり見える。白い球状のものが二つ。野球ボール大だ。

 すぐカメラを持って確認する。一つは外皮がむけて、半透明ゼラチン状の中身が見える=写真上1。

 後輩が中身を裂く。と、さらにその内側に、暗緑色に包まれた白い柱状のものが入っていた。

 白い球状の幼菌から、やがてサッカーボール大になるオニフスベを連想した。が、家に帰って、ネットでオニフスベの幼菌を検索すると、中身は「はんぺん」のように白いままだ。ゼリー状ではない。

 そこから「白い球状のキノコ/ゼリー状」をキーワードに検索すると、似た画像が現れた。さらに検索を続けると、スッポンタケの仲間らしいことがわかった。だとしたら、暗緑色の部分は傘になり、白い柱状の部分は柄になるのだろう。

 スッポンタケの仲間にキツネノタイマツがある。上の庭の土手に発生したことを、先日、ブログで紹介した。それに続く珍菌の出現だ。

 白いドレスをまとった貴婦人のようなキヌガサタケも同じ仲間だが、こちらはゼリー状の内部にある白い柱がずんぐりしている。白いドレスをまとう分、白い柱が太くなるのだろう。

 白い柱が細いので、ひとまずスッポンタケということにしておく。いずれにせよ初めて見る幼菌だ。

 ついでに、きれいになった下の庭の縁をチェックする。枯れ木にエノキタケは出ていなかったが、見たこともない黄色い花が咲いていた=写真上2。

 秋の黄色い花はセイタカアワダチソウ、キツリフネソウ、キバナアキギリなどが思い浮かぶが、それらとは全く違う。

 これもあとでいろいろキーワードを組み合わせて画像を検索した。画像から入るのが一番だ。しかし、キーワードがピンボケだったためか、最初は1時間ほどやって断念した。

 2回目は30分ほどすぎたところで、「アキチョウジに似る/黄色い花」でやってみた。すると、ようやく似た画像に出合った。

ナガミノツルケマン、別名ナガミノツルキケマン。漢字で書くと、長実蔓華鬘、長実蔓黄華鬘だ。宙に浮いているような花の形がおもしろい。

キノコであれ、野草であれ、人知れず咲き、人知れず散る――そういったものが少なくない。スッポンタケも、ナガミノツルケマンも、たまたま草刈りを介して現れた自然からの贈り物だった。

2022年10月12日水曜日

ネギの種まき

                      
    私が夏井川渓谷の隠居で栽培している三春ネギは、10月10日前後の日曜日に種をまく。春まきは4月10日、秋まきは10月10日――。ネギの師匠と土地の人に教わってから、そうしている。

種は、梅雨の晴れ間にネギ坊主を摘み、乾燥させて採る。今年(2022年)は6月中旬に摘んだ。気温の上がった同23日、“水選”してごみや中身のない種を取り除き、一晩軒下に置いた。

一つひとつはゴマ粒のように小さい。すぐ乾く。それを乾燥剤とともに小瓶に入れて、秋まで冷蔵庫に保管する。

最初は隠居のなかで、常温で保管した。ところが、いっこうに発芽しない。ネギは暑さと湿気に弱い。冷蔵保管を知り、それを始めてからはちゃんと発芽するようになった。

種をまくにも段階がある。苗床をつくる。石灰をまく。肥料をすき込む。日曜日ごとに少しずつ準備を進め、3連休ど真ん中の10月9日に種を筋まきにした。

この日は、後輩が早朝から隠居の庭の草刈りをしてくれた。「もう作業が始まっているかもしれない」。午前10時前にJR磐越東線の江田駅前を通ると、道端の空き地で小野町のNさんが直売所の囲いを組み立てていた。

車を止めてあいさつをと思ったが、仕事のジャマになるのでそのまま通過する。Nさんは紅葉シーズンになると、自分の畑で栽培している長芋やゴボウを直売する。

以前は郡山の阿久津曲がりネギと同じ曲がりネギを売っていた。甘くてやわらかいので、毎年買っているうちに、顔なじみになった。

5年ほど前、このネギが直売所から姿を消した。Nさんは会社勤め、ネギ栽培の主力はNさんの両親だった。父親が入院したり、母親が腰を痛めたりして、直売所へ出すほどの量が栽培できなくなったらしい。

それでも、直売所を開くと立ち寄り、買い物ついでに曲がりネギの話をする。そのたびにNさんはすまなそうな顔をする。そんなことを思い出しながら隠居に着くと、後輩が上の庭の草刈りを終えるところだった。

ほどなく下の庭の草刈りが始まり、私も上の庭で風呂場からホースを伸ばし、ネギの苗床に水をやりながら種まきの準備を進めた。

と、そこへ後輩に伴われてNさんがやって来た。後輩の姿を最初に見つけたのだろう。お互いに「なんでここに?」という表情になった。まずは1年ぶりの再会を喜ぶ。

用件は単純だ。隠居の隣は「錦展望台」。震災前、土地の所有者が谷側の杉林を伐採し、古い建物を解体して更地にした。「錦展望台」と名づけて行楽客に開放した。

所有者が亡くなったあとは、地元に住む親戚のAさんが管理している。Aさんからは「(直売所に)貸すよ」といわれていたそうだ。

「電話番号を知らないか」という。すぐ近くにAさんの家がある。「踏切を渡ってまっすぐ」云々(うんぬん)と教える。

江田駅前より錦展望台の方が、紅葉が映える。隣に直売所ができれば、隠居へやって来た人間にも声をかけやすくなる。そのうえ、「今年はネギもつくったから、持ってきます」。いよいよ「開店」が待ち遠しい。

2022年10月11日火曜日

今年3回目の草刈り

 夏井川渓谷にある隠居では年に2~3回、草を刈る。後輩が軽トラに草刈り機を積んで駆けつけてくれる。

今年(2022年)は、1回目が5月29日、2回目が8月5日。そして、10月9日の日曜日、3回目の草刈りが行われた=写真。

 たびたび当ブログで書いているが、庭は二段になっていて広い。わが生活圏内の石森山のふもとに草野小絹谷分校がある。その校庭と同じか、それ以上だろう。

 震災前は、知り合いの業者に頼んで草を刈った。それを見て、上流の畜産農家が「刈り草が欲しい」といってきた。連絡すると、刈り草を回収し、お礼に牛ふんを届けてくれた。原発事故がそれを断ち切った。そのころ(2009年7月初め)のブログの抜粋。

――梅雨も半ばに入ると、野道は繁茂した草で狭くなる。この時期、川の堤防や田んぼのあぜ道で草刈り機を動かしている人をよく見かける。県道や国道も草刈りが欠かせない。湿潤な日本の夏は草刈りの夏でもある。

週末のみの半住民だから、隠居の庭の手入れは行き届かない。梅雨には決まって足元が見えなくなるほど草に覆われる。そろそろ業者に頼まないと……。

一日かけて草を刈ってもらったら、見違えるほど庭がスッキリした。堤防上の道でも経験することだが、草が両側から迫るとうっとうしい。車も運転しにくい。

それと同じで、草の茂った庭は歩きづらい。蛇がひそんでいないかと不安にもなる。その草がきれいに刈り払われたときの爽快感がたまらない。

猫の額ほどの菜園がある。草に埋もれてどれが野菜か草か分からないほどだったのが、きれいに刈り払われて庭と菜園の区別がつくようになった。

虫のすみかが減った分、野菜の葉や実の食害も減るだろう。草刈りが済むとしばらくは精神衛生にいい状態が続く。

あとは川前町に住む畜産農家に連絡すれば、刈り草を残さず持って行ってくれる。農薬などは使っていないので牛のえさには最適なのだという――。

 今は、後輩が頼りだ。3連休のど真ん中、日曜日の朝10時前、隠居に着くとすでに上の庭の草が刈り払われていた。

 隠居へ行くのが遅れたのは、朝一番で回覧資料の配布をしたからだ。いつもだと10日付だが、天気がよろしくない。雨の心配がない日曜日に役員さん宅と担当する隣組の班長さん宅に届けた。

 カミサンは実家で亡母の遺品の整理をした。カミサンを送り届けてから隠居へ向かったので、どうしても時間がずれ込んだ。後輩は7時には草刈りを始めたという。

 それからざっと2時間、下の庭の草刈り=写真=が終わったところで、昼食をとった。その後も家と道路際の草を刈り、1時ごろにやっと一日がかりの大仕事が終わった。ありがたいことだ。 

2022年10月10日月曜日

ツバメのねぐらマップ

             
 日本野鳥の会いわき支部のTさんから、全国の「ツバメのねぐらマップ」と、支部会報「かもめ」第156号の恵贈にあずかった=写真。

 マップには全国30カ所のツバメのねぐらが紹介されている。北日本(北海道・東北)は3カ所。うち2カ所は福島県内の「浜尾遊水地」(須賀川市)と「仁井田川河口上部」(いわき市)だ。

 いわき支部の解説によると、仁井田川と横川合流付近をねぐらにするツバメは約5万羽。しかし、5万羽がどういうものかは想像がつかない。

 5万羽規模のねぐらは、ほかには渡良瀬遊水地、手賀沼・大津川河口(千葉県)、加古川河口だ。最も多いのは平城宮跡(奈良県)の約6万羽だから、仁井田川河口は全国でも有数のツバメのねぐらということになる。

 前は仁井田川の本流・夏井川下流のヨシ原がねぐらだった。仁井田川と夏井川は横川をはさんでざっと4キロしか離れていない。ツバメにとっては、どちらの川筋も隣の家に行くようなものだろう。

 震災前の平成19(2009)年8月9日夕方6時すぎ、いわき支部が主催するツバメのねぐら観察会に参加した。といっても途中までで、夜7時には別の用事が入っていた。そのときの拙ブログを要約・再掲する。

――六十枚橋近くのヨシ原にあるサイクリングロードに一行が陣取っていた。春先、枯れヨシに火が入れられ、芽生えたヨシが2メートルを超えるまでに成長し、大きな草のジャングルを形成している。案内人は旧知のKさんだった。

 Kさんからいろいろ話を聞いた。ツバメがねぐら入りをするために、夏井川河口周辺の空に集まり始めるのは6時50分くらいから、だという。足元は薄暗くなっても上空はまだ明るいのでそんな時間になる、人間の日暮れの感覚とツバメの日暮れの感覚とでは時間差がある、とKさん。

 ところがKさん、いまひとつ自信がない。今年(2009年)は仕事が超多忙でねぐらを確認していないのだという。

前年までは確かにここがねぐらだった。三々五々、どこからともなく現れたツバメたちが近くを旋回する。やがて黒く大きな塊となってヨシ原の上を旋回する。今年もここがねぐらなら、そういう状況を目にすることができるのだが、という。

双眼鏡でツバメたちが集まり始めたのが分かった。肉眼では見えない。が、そこで時間がきた。黒い塊は後日の楽しみにして、泣く泣く現場を離れた――。

Kさんの不安は的中した。この年、ツバメたちは仁井田川の方にねぐらを替えた。いわき支部創立50周年を記念して発行した『いわき鳥類目録2015』にそのことが書いてある。

ツバメはおおむね9~10月には姿を消す。先日、夏井川の堤防で見かけたのが最後の1羽だったか。

気になるのはヨシ原だ。平野部の夏井川では河川敷の土砂除去と強じん化工事が行われている。六十枚橋から河口にかけても変貌が著しい。ヨシ原が消えれば、ツバメのねぐらもなくなる。

2022年10月9日日曜日

『戦争とデザイン』

                                 
 ロシア軍の戦車や装甲車のボディに書かれた「Z」にはどんな意味があるのか、何からきているのか――。

 グラフィックデザイナーの松田行正さんが『戦争とデザイン』(左右社、2022年)=写真=のなかで言及している。

松田さんは自称「デザインの歴史探偵」だ。そもそもこの本は、出版社側が「Z」の意味を知りたくて、著者に提案して刊行された。

 黒とオレンジ色を使った「ゲオルギーのリボン」というものがある。「もともとは帝政ロシア時代からの軍隊の帽章や、勲功のあった軍人に贈る勲章のリボン(アウェアネス・リボン)などに使われた色で、ソ連、ロシア時代になってもそのまま使っている」

 リボンの配色は、外側から黒・オレンジ・黒・オレンジ・黒で、3本の黒い線と2本のオレンジの線からなる。

戦車や装甲車の白い「Z」とは別に、ゲオルギーのリボンが「Z」に文字化されたものもある。

「プーチンの戦争」が長期化すると、兵力不足を補うために、ロシアの地下鉄などに徴兵ポスターが張られた。

ポスターには「ゲオルギーのリボン」でできた「Z」のマークのほかに、「わたしのすべきこと」として、18歳以上・短期契約・月収4万8000円~8万円(日本円換算)・追撃砲兵など軍務・経験不問――などと書かれていたそうだ。

 ゲオルギーとはそもそも何だろう。東方正教会(ロシア正教会)などの守護聖人の一人で、「ソ連時代を除いて、聖ゲオルギーが白馬に乗ったイラストが国章などにずっと使われてきた。それが黒とオレンジのリボンにシンボライズされたのだった」。

 2005年以降、対独戦勝記念日(5月9日)に、一般人もこのリボンを身に付けるようになった。国営通信のプロパガンダ戦略の結果、「勝利」や「愛国心」のシンボルに昇華したのだという。

2005年といえば、プーチン大統領が2期目に入ってすぐのときだ。彼はこのあと、大統領から首相になり、2012年から再び大統領を務める。

ロシアが2014年、ウクライナのクリミア半島を併合したときには、親ロシア派が黒とオレンジのストライプの布片を身に付けていたとか。

で、「Z」だが……。ロシア語を表記するキリル文字ではなく、ローマン・アルファベットで書かれている。

松田本にはさまざまな説が紹介されている。それを列挙するとかえって混乱する。「勝利のために」「ロシアのために」と書かれたロシア国内のスローガンを見ると、「ために」に当たるスペルが「ZA」になっている。「Z」の意味は「ために」に収斂する、という見解だった。

 ついでながら、ロシアの国旗はソ連崩壊後、帝国時代に使われていた白・青・赤の横三色旗が復活した。白はベラルーシ(白ロシア人)・青はウクライナ(小ロシア人)・赤はロシア(大ロシア人)を意味しているともいう。ロシアのウクライナ観が国旗からもうかがえる。

2022年10月8日土曜日

石油ストーブを出す

                                
   木曜日(10月6日)は、とにかく寒さがこたえた。火曜日までは半そでだったのが、長そでに着替えても背中が冷える。

 作家の故池波正太郎さんが『男の作法』のなかで言っていた。「冬なんかに、ちょっときょうは寒い、風邪を引きそうだなあと思ったときは、入浴をしても背中は洗わないほうがいいよ。(略)背中の脂っ気がなくなってカサカサになっちゃうと、そこから風邪が侵入してくるわけ」

池波さんの教えに従って、背中から風邪を引かないよう、長そでの上に夏用のカーディガンを羽織ったが、それでも寒さが収まらない。カーディガンの下に毛糸のチョッキを着て、やっと背中のひんやり感が消えた。

背中はそれでいいとして、座卓に向き合っていると、足が冷えてかなわない。まずは厚手の靴下を履く。それでも寒さが残る。

カーペットの下に電気マットを敷いたままにしてある。まずはこれに電気を通す。これでやっと足元の冷えが解消された。

しかし、午後になっても室温は上がらない。むしろ温度が下がった感じさえする。部屋は夏バージョンのままだ。隣室との境の戸を閉め、上がり框(かまち)の素通しの戸に障子をはめて、石油ストーブをたくと、やっと暖かくなった=写真上1。

朝は義弟を病院へ送り届けた。小雨が降っていた。これでは気温が上がらないわけだ。車の中もひんやりしている。暖房をかけた。

こう寒いと「けんちん汁」(豚汁)が恋しくなる。カミサンも思いは同じだったようだ。午後になると、「きょうはけんちんにする」。

少し遅れて、後輩が落花生の「おおまさり」を持ってきた。やはり、寒くて、この日初めてストーブをたいたという。

落花生をゆでて食べるのを知ったのは平成29(2017)年9月中旬。平・本町通りで「三町目ジャンボリー」が開かれた。好間の生木葉ファームも出店し、今は彼岸に渡った主人に勧められて生の落花生を買った。3%の塩水でゆでるといい、といわれた。

さっそく、晩酌のつまみに塩ゆで落花生が出てきた。殻付きでも、殻なしでも硬い落花生しか知らない人間には、枝豆のようなやわらかさが衝撃だった。ほくほくして、ほのかな塩味が効いていた。 

殻付きの落花生は、子どものころの正月の記憶と結びついている。兄弟がこたつを囲んでミカンを食べた。スルメと落花生もあった。庶民の味だったらしい。殻なしを「ピーナッツ」と呼ぶようになったのは、ずっとあとではなかったか。

最近は後輩から殻付きのお福分けが届く。木曜日はけんちん汁とゆでた落花生が晩酌のおかずになって出た=写真上2。どちらもお代わりした。

ゆでると殻の中に水がたまることがある。それを防ぐには蒸すといい、と知り合いからいわれたことがある。今度は蒸してみようか。

金曜日も前日同様、肌寒かった。晩酌のおかずには残りのけんちん汁と落花生が出た。これは2日くらい続いても飽きない。