2011年5月1日日曜日

5月がきた


5月がきた。風が若葉をなでて過ぎる、一年で最もさわやかな月だ。男の子のいる農家には小旗がはためき、こいのぼりが泳ぐ=写真。気温の高い日には家の戸を、窓を全開する。半袖シャツに着替える。夕方にはカツオの刺し身をつつきながらビールをグイッとやる。本来ならば、何の不安もなくそうするのだが……。

浜通り俳句協会の俳誌「浜通り」第140号が、きのう(4月30日)届いた。季刊誌である。頼まれて「いわきの大正ロマン・昭和モダン――書物の森をめぐる旅」を連載している。今度の号では俳人諸氏の作品が気になった。「東日本大震災」を詠んだものがあるのではないか。あった。

 列島を呑むかに津波山笑ふ(武川一夫)
 灯籠も墓碑も倒され春かなし(後藤青峙)
 配給の握りの冷めて氷点下(〃)
 春津波遭遇の孫生還す(林十一郎)
 激震や阿鼻叫喚の春津波(渡辺ふみ夫)
 水電気ガス無き避難春寒く(〃)

<浜通り集>に収録された作品の一部である。締め切り後に作品を差し替えた人もいたことだろう。旧知の発行人結城良一さんの作品は、

 花八つ手黙って避難両隣り
 ふくろふの範疇余震また余震
 放射能警戒レベル市域余寒

大地震・大津波、それに追い打ちをかける原発事故は、俳人にも衝撃を与えた。それぞれがそれぞれの体験を詠んでいる。身近な体験を普遍化するのが短歌や俳句のすごいところだ。いや、短詩形文学だからこそかえって鋭く大災害の姿を浮き彫りにする。

<浜通り集>は、それぞれが近詠を発表する場だろう。次号なり次々号なりで「震災俳句」を特集してはいかがか。貴重な記録になる。

5月の声とともに、いわきでは「花八つ手」に代わってフジが紫の花穂を垂らしはじめた。結城さんの句にならえば「藤の花黙って避難両隣り」というところもあるに違いない。

24年前に54歳で亡くなった、いわきの高校教諭吉田信さんの遺稿集『薄明地帯のメッセージ』に「チェルノブイリ原発事故に寄せて」と題した詩が収められている。遺稿集を頂戴したが、2階はいまだに本が散乱している。どこにあるかわからない。伊東達也編集・発行の『原発を書いた俳句 短歌 詩』(2010年7月発行)から紹介する。

 一体何のあやまちだ どうしたと言うのだ
 死の灰が降りそそぐ この美しい五月の空から
 音もなく においもなく
 北ヨーロッパの子供たちや妊婦たちは
 あんなに陽ざしが恋しい種族なのに外にも出られず
 豊かな牧畜の国々ではミルクも肉も当分おあずけだ

 「正確な情報を与えよ」
 ワルシャワやストックホルムの市民たち
 世界中の人々は耳をそばだてる
 生者だけではない
 カタコウムのされこうべたち
 ヒロシマやナガサキの死者たちも耳をそばだてる
 ルルドの聖母像もいぶかしげな視線を
 北方に投げる

 古都キエフから観光団が今日帰国
 百ピコキュリー前後の大した汚染だ
 しかし旅行者は立ち去ればよい
 死の灰を洗い流して……
 ヨゼフやイワン カテリーナたちよ
 君たちは十分知らされたのだろうか
 君たちの水や食料 土地や空気は安全なのだろうか
 ウクライナの穀倉地帯は大丈夫なのか
 ほとんどなにも知らせない政府との
 あいまいな納得づくで 君たち自身の健康や
 生まれて来る子どもたちは本当にだいじょうぶなのか

 だがこれは他人事ではない
 私たちの電力会社や政府はまたしても
 メガホンでふれ回っている
 「わが国の原子炉は形式が違うから安全だ」と
 メガホンとそれを鵜呑みにする(沈黙の多数)
 という図式は破られねばならぬ

 地獄の釜のふたが飛んだ
 一度目はスリーマイル島でおずおずと

 二度目はチェルノブイリでかなり派手に

 三度目は何処でどんな具合にはじけることだろう
                        一九八六・五・五

25年前の吉田さんの心配が現実のものになった。しかも、地元の浜通りで、激しく、過酷に。5月の美しい空はいつ戻ってくるのか。

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