2017年11月16日木曜日

電動剪定

 わが家(米屋の支店)の生け垣は、昔は義父が自宅(本店)から通って手入れをしていた。義父が亡くなってからは、たまにしか剪定しなくなった。主に常緑のマサキが植えてある。剪定が甘かった一本は、2階の物干し場の柵と同じ高さまで枝葉が伸びた。
 自分でいうのもなんだが、私は庭の草むしりや生け垣の剪定といった“庭仕事”には向かないようだ。「花より野菜」の実利派で、菜園の草むしり、土いじりなら喜んでやる。

 いつになっても腰が重いままなので、結局はカミサンが生け垣を剪定するようになる。今年(2017年)は近所の知り合いから“電動高枝バリカン”を借りてきた。面白いように“散髪”できる。2~3日、ヒマを見つけては電動バリカンを動かし続けた=写真。

 自分で庭を造るほどの父親の血を引いたのか、カミサンは庭師的な仕事が嫌いではないらしい。生け垣剪定の仕上げに、自分では手が届かないから1階の窓枠に立って屋根にかかったビワの枝葉をのこぎりで切ってほしい、という。それだけを手伝った。

 のこぎりを使うとすぐ息が切れる。ビワの太い枝を切りながら、思い浮かんだ文章がある。吉野せいの『洟をたらした神』の<かなしいやつ>だ。せいの夫・吉野義也(三野混沌)の盟友・猪狩満直が、菊竹山の夫婦の小屋を訪ねる。上がり端にあったのこぎりを手に取るなり、満直は大笑いする。「何だい。これで何が切れる!」。「ああ、息だけが切れんな」と、混沌かせいかはわからないが、即妙の答えが返ってくる。

 先日見た映画「洟をたらした神」では、せいが返答したことになっている。原文の流れからは、そうはとれない。1歳年上の満直を「みつなおさん」ときちんと呼んでいたせいが、「ああ、息だけが切れんな」というだろうか。せいなら「はい、息だけが切れます」、あるいは「ええ、息だけが切れんのよ」だろう。混沌が「あ・うん」の呼吸で満直の言葉に応じたのだ。

 11月に入ると、ミノウスバ(蓑薄翅)という、胴体が黒とオレンジ色、翅が半透明の小さなガが、マサキの枝先に産卵する。越冬した卵は、春の終わりごろに孵化して新芽を食害する。すでに産卵期は過ぎた。剪定が効いたのか、ざっと見たかぎりでは枝先にミノウスバの卵は見当たらない。

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