土曜日(11月18日)に、いわき市文化センターでいわき地域学會の第332回市民講座が開かれた。いわき市立美術館長兼宇都宮美術館長の佐々木吉晴さんが、「参加型市民文化と社会への寄与――アメリカの美術館が生まれた背景」と題して話した=写真。
アメリカの独立記念日は7月4日。それを祝って、アメリカ人4人が芸術の都・パリでワインを飲んでいるうちに、「アメリカにも美術館をつくろう」と意見が一致した。カーネギーやモルガンなどの財団にはたらきかけた結果、1872年、ニューヨークにメトロポリタン美術館が開館した。
すると、ニューヨークのライバル都市・ボストンでも同じような動きがおきる。1876年7月4日、アメリカの独立100周年を記念してボストン美術館がオープンした。こちらは日本美術が充実している。大森貝塚を発見したモース、モースの友人のフェノロサ、ビゲローが日本で収集した美術作品などを譲渡・寄贈した。フェノロサの教え子の岡倉天心が在職したこともある。
ニューヨーク近代美術館も、ワシントンのナショナル・ギャラリーも、富豪の夫人や大富豪・政治家といった人間が発案・協力してできた。
アメリカ社会の根底にあるのは、「私たちの文化は私たちがつくる、そのためには寄付もする」という精神だという。税制がそれを支える。いわきにも「私たちの文化は私たちがつくる」という実例があったと、佐々木館長は言う。市立美術館設立の原動力になった市民団体「いわき市民ギャラリー」だ。
佐々木館長の話を聴きながら思い出した。今年(2017年)の吉野せい賞準賞作品は、木田修作さんのノンフィクション「熱源――いわき市民ギャラリーとその時代」だった。佐々木館長が指摘した「参加型市民文化」の経緯を丹念に追っている。この作品は、来春には、ほかの入賞作品と共にいわきの同人誌「風舎」に掲載される。
ついでながら――。市民文化を豊かなものにしているもう一つの側面、大富豪らの社会貢献=「寄付の経済学」が日本ではなかなか根づかない。
私の感想だが、日本では逆に、市民に補助金を期待する風潮がある。補助金は行政からすると、ある意味では釣り人がまく“こませ”のようなものだ。永遠にもらえるわけがない。カネの切れ目が縁の切れ目、事業や組織の切れ目になる――そういう無残な例を見てきた。やせても枯れても自前でやる、それでもちょっと足りない、というときだけ補助金を利用する。そういう気概が必要だ。
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