2017年11月30日木曜日

「ロートレックと巴里」展

 日曜日(11月26日)の午後遅く、夏井川渓谷の隠居で土いじりをしたあと、平の街へ戻った。魚屋さんへ刺し身を買いに行くには少し時間がある。ではと、いわき市立美術館で企画展「ロートレックとベル・エポックの巴里(パリ)――1900年」を見た(12月17日まで)。 
 65歳以上の市内在住者は無料で観覧できる。そのうえ、今回はフラッシュや三脚を使わなければ写真撮影もOKだという。カメラを手に山野を巡るような感覚で作品を見ることができた。

 まずはチラシで企画展のテーマを頭に入れる。産業革命後、19世紀末のパリは急速に都市化が進む。万博が5回も開かれた。美術館や駅が建設され、地下鉄が開通する。活字メディアが普及し、美術界ではアール・ヌーボーが生まれ、ジャポニスムの影響を受けた作家たちが活躍を始める。1900年はその象徴のような年らしい。
 
 企画展の目玉はロートレックだが、グラフィックデザイナーのアルフォンス・ミュシャ(1860~1939年)に引かれた。というより、300点余のリトグラフ(石版画)と水彩画などを見たなかで、名前を知っているのはドガやマネ、ボナール、マチスを除いて、アール・ヌーボー系のミュシャだけだった。

 1900年は明治33年だ。日本では詩歌を中心とした文芸誌「明星」が創刊された年で、時をおかず、さし絵などにアール・ヌーボー風の作品が登場する。ジャポニスムの影響を受けた新しい装飾芸術が逆輸入されたわけだが、やがてそれを体現するのが「大正ロマン」の代表作家、日本のグラフィックデザイナーの草分け、竹久夢二だ。
 
 伝道師で詩人の山村暮鳥が磐城平に赴任するのは、それから12年後の大正元(1912)年秋。いわきの詩風土に種がまかれ、芽が出て花が開くのはそのあとだ。明治33(1900)年には、三野混沌はまだ6歳、妻になる若松せいは1歳、友人の猪狩満直は3歳だった。草野心平はまだ生まれていない。

 ミュシャの<「ルフェーブル=ユティル・ヴァニラ・ゴーフル」ラベル>を撮影する=写真。あとで調べたら、ルフェーブル=ユティルはビスケットの製造会社、ゴーフルはワッフルで、バニラ風味のワッフル?が入った箱型パッケージのラベルだった。

 1900年――。パリは享楽的な雰囲気にあふれていた。やがて、第一次世界大戦が始まる。「これまで経験したことのない恐ろしく悲惨な戦争体験をした人々は、平和で活気に満ちていたこの時代を懐かしみ、特別な思いで『ベル・エポック』(良き時代、美しき時代)と呼ぶ」ようになったという。日本も第一次世界大戦に参戦した。大正ロマン・昭和モダンのあとには、また軍靴の時代を迎える。

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