2017年11月9日木曜日

付き合いは浅かったが

 いわきの平地にも冬鳥のジョウビタキ=写真=が現れるようになった。おととい(11月7日)は立冬。ところが、日中、室温が25度近くまで上がった。暑い。はんてんを脱ぎ、茶の間のガラス戸を開けて座業を続けた。
 ほんの数日前、8人いる地区の区長(兼行政嘱託員)のうち、山の手のMさんが急逝した。連絡がきて7人で自宅を弔問し、翌・立冬の日、通夜に顔を出した。Mさんは今春、区長に就いたばかりだ。付き合いは浅かったが、なんとも重苦しい気分になった。

 現役のころ、私は“会社人間”だった。住んでいる地域へは食事と睡眠に帰るだけ。会社を辞めてからは、「会社」の字がひっくり返って“(地域)社会人間”になった。24時間コミュニティに属している。傍観者ではいられない。

 区の役員になり、地域で暮らす当事者になってみると、メディアが知り得るコミュニティの情報は表層も表層、「整理された情報」でしかないことがわかった。暮らしの現場ではいろいろなことが起きる。「ごみネットが破れた」「不法投棄がある」「道路に小さな穴があいた」……。“小事”のうちに動いておけば、“大事”には至らない、「小間使い」に徹するのだ――と自分に言い聞かせながら、日々を送るようになった。

 ほかの区長さんも思いは同じだろう。月に3回は行政嘱託員としての仕事がある。各戸配付あるいは回覧の行政資料を袋詰めにして、役員さんを介して隣組に届ける。ほかに、区対抗の球技大会や体育祭、まちをきれいにする市民総ぐるみ運動、各種会議などがある。そのかなめになる人が突然、亡くなったのだ。行嘱の仕事は待ってくれない。代行をすぐ決める必要がある。とてもひとごととは思えなかった。

 同じころ、わが行政区でも区とつながりのある人が亡くなった。区の役員会は区内の県営住宅の集会所を借りて開く。近くに管理人さんが住んでいて、毎回、予約してカギを借りに行く。その管理人さんが急に彼岸へ渡った。近所に住む役員さんから電話をもらったときには、しばらく信じられなかった。

 管理人を引き継いで何年もたたない。こちらも付き合いは浅かったが、区の仕事を進めるうえでは欠かせない人だった。早急に後任を決めてもらわないと困る人が出てくる。

 Mさんも管理人さんもそれぞれ、コミュニティのなかで自分の役目を引き受けていた。多少の手当てはつくものの、基本はボランティアだ。一隅を照らす――そういう人たちがいるからこそ、コミュニティは、さざなみが立っても平穏でいられる。広い意味では、Mさんも管理人さんも連携してコミュニティを維持する仲間だった。ともに70代半ば。もっともっと生きていてほしかった。

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