「カツオはありませんが、メジがあります」。きのう(11月26日)は日曜日。夕方、いつもの魚屋さんへ刺し身を買いに行った。11月も後半、カツオが入荷しないのはわかっている。代わりに、カツオが手に入る春まで、サンマやタコの刺し身を買う。そこへメジが入ったという。メジとはメジマグロ、本マグロ(クロマグロ)の子どもだ。例年より少し遅いようだ。
拙ブログで確かめる。「メジマグロですが」といわれて、初めてメジ刺しを口にしたのは、2011年の震災前だった。マグロの赤い刺し身はほとんど食べない。が、カツ刺しがないならしかたないと、冬、たまたま入荷したピンク色の「メジ刺し」を口にした。“トロガツオ”に引けを取らないうまさだった。カツオの次にメジが好きになった。
震災の年の魚事情がよみがえる。2010年までは、いわき市民は海の幸を遠くにいる親類・友人・知人に宅配便で送って喜ばれた。2011年はすっかり様子が変わった。受け取りを拒否されるときもあった。「宅配便で送るのもいいけど、先方にちゃんと確認してからにしてください」。魚屋さんは念を押さざるを得なかった。今はどうか。わが家でも震災前と同じように生サンマを宅配便で送っている。
メジ刺しができるまでの間、前日に会った人の話をする。土曜日、いわき地域学會主催の「いわき学博士号授与式」と記念講演会が行われた。講演を聴きに来たAさんと名刺を交換した。毎週刺し身を買いに行く魚屋さんとは昵懇(じっこん)の間柄で、私が魚屋さんの常連だということも知っていた。「○×の刺し身を食べたら、×○の刺し身は買う気がしませんよ」。私の言葉に苦笑しつつ同意した。
元市職員氏、いわき出身の官僚氏、Aさん……。会って話したことのある人が、実は同じ魚屋さんの刺し身を食べていると知ったときには驚いた。魚屋さんを軸にした“刺し身コミュニティ”というものが勝手に思い浮かんだ。
“刺し身コミュニティ”は魚屋さんと客という個別的・水平的な結びつきだが、それぞれの家ではこれが垂直的になる。親―子―孫と同じ魚屋さんの刺し身を食べるわけだから、味の記憶も次世代に継承される。
昨夕、刺し身のメジ=写真=をつつきながら晩酌を始めたところへ、せがれが小4の孫を連れてやって来た。カミサンが刺し身を勧めると、孫はわさび醤油につけたメジを一切れ口にした。「うまい!」。また一切れ口にして、「うまい!」。わさびに顔をしかめるわけでもない。
10歳で刺し身のうまさがわかるとは、さすがにいわきの子――といいたいところだが、飲兵衛の血も流れているにちがいない。大人になったときのことを想像して、少し複雑な気持ちになった。
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