先日、新聞でフォーク歌手遠藤賢司さんが亡くなったことを知った。70歳だった。
45年以上前になる。いわきの平市民会館でフォークコンサートが開かれたとき、遠藤さんがトリを務めた。「フォークの波 vol2 遠藤賢司と共に」で、「アンドレ・カンドレ」から本名に変わったばかりの井上陽水さん、忌野清志郎さんがリーダーのRCサクセション、女性ペアのジャネッツが出演した。遠藤さん24歳、陽水さん23歳、清志郎さん20歳、ジャネッツは19歳だった。
記憶を頼りに、図書館のホームページで電子化されたいわき民報をチェックする。昭和46(1971)年9月下旬に始まった水曜日の「オー!ヤング」欄が目当てだ。翌47年2~3月にコンサート出演者を紹介する記事が連載されていた=写真。
「オー!ヤング」欄は、上司に誘われて酒を飲んでいるうちに、直訴して私がつくった。「老人新聞じゃないですか、若者が読めるコーナーをつくらせてください」「じゃあ、やれ」。小回りの利く地域紙の特性で、手を挙げた人間がやりたいことをやれる。入社半年で警察回りなどをしながら、「オー!ヤング」の“ひとり編集長”になった。
高校生を中心に、イラストや詩、散文などが寄せられた。「オー!ヤング」と連動する企画も入った。フォークコンサートがそうだった。
「フォークの波 vol2 遠藤賢司と共に」の記事を読んで、記憶の輪郭が鮮明になった。出演者とは同年代だ。単なる新聞社の「名義後援」ではない。コンサートの手伝いもした。
遠藤さんは♪君も猫もみんなみんな/好きだよカレーライスが……の「カレーライス」ですでに知られていた。知名度からして当然、メーンだ。でも、その後は一気に陽水さんが、清志郎さんが浮上した。
主催者は小名浜出身の個人興行主だった。これからこんな歌で再デビューすると、待ち合わせ場所の草野美術ホールで陽水さんのアルバム「断絶」のデモテープを聴いたことがある。♪夜中にデイトした……(断絶)、♪父は今年二月で……(人生が二度あれば)、♪都会では自殺する……(傘がない)。同世代の若者の心情がストレートに表現されていた。
遠藤さんの死に暗澹(あんたん)としながらも、低迷から浮上へと転じつつあった前座・陽水さんの透明なハイトーンが脳裏に響いた。
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