2017年11月7日火曜日

「裸足の女 吉野せい」

 日曜日(11月5日)午後2時から、草野心平記念文学館で吉野せい没後40年記念講演会が開かれた。講師は『裸足の女 吉野せい』と『土に書いた言葉 吉野せいアンソロジー』の著・編書がある山下多恵子さん=写真。「裸足の女 吉野せい」と題して話した。
 この日、わが地元ではごみを拾いながら夏井川の河川敷と堤防を行く「市民歩こう会」が開かれた。終了予定時間は午後2時半だったので、受講はあきらめていた。ところが、思ったより早くコトが進み、2時半解散予定が1時過ぎには終了した。わが家から文学館までは車でおよそ30分。2時からの講演には間に合う。帰宅して、急いで出かけた。

 山下さんは、せいにとって「書く」とはなんだったのか、せいのかたわらにはいわきの自然があった――と切り出し、せいの文章が菊竹山の自然を通して完成された、という意味のことを語った。

 結婚前のせいを、文学の師匠でもある山村暮鳥がブレーキをかけずにそのまま書かせたら――。山下さんは、作家網野菊と師匠の志賀直哉の例を挙げ、ひとかどの作家にはなっていただろうと述べた。私も同感だ。
 
 が、そうなっていたら私たちは「洟をたらした神」を読むことはできなかった。詩人で開拓小作農民の吉野義也(三野混沌)と結婚したからこそ、文学への情熱を秘めつつ、土を相手に暮らし、混沌との「愛と苦闘」を生きた結果、「洟をたらした神」が生まれた。
 
 山下さんの語りは、NHKのラジオ深夜便のアナウンサーのように落ち着いていて、心地よかった。よどみがない。せいの話し方も無駄がない。そのまま文章になるような語りだったことを思い出した。
 
 講演が終わって、質問タイムに入った。司会を担当した文学館の旧知の学芸員氏がいきなり振ってきた。しかたない。A3判1枚のレジュメの中にある原稿のタイトル「菊竹山記①梨花」にからめて質問した。

「この原稿コピーは雑誌用だと思うが、同じ『菊竹山記』というタイトルで、せいは昭和45年11月から地元の新聞・いわき民報に断続的に随筆を書いている。『あんたは書かねばならない』と草野心平にいわれるのは混沌の三回忌の席上。せいは心平にいわれる前からすでに書き始めていた、自分の意志で。そのへんのことをどう思うか」

 ま、結論が出る問題ではないが、山下さんもせいのなかにみずからの意志をかぎ取っているようだったので、安心した。講演会は、12月24日まで開かれている「没後40年記念吉野せい展」の関連企画として開かれた。何人か知り合いが来ていた。年のせいか、こういう機会がないとなかなか会えない、そんな人が増えてきた。

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