2010年2月10日水曜日
スペインから来た青年
スペイン在住の画家阿部幸洋が、ふるさとのいわき市で個展を開く(13日から平・界隈)ために帰国した。8日夜6時、彼の亡き妻(すみえちゃん)がわが子のようにかわいがっていた青年ラサロ君を連れて、わが家へやって来た。
それより2時間前に連絡が入って、慌てて買い物に出かけた。カミサンは、ラサロ君は肉を食べるから肉の入った日本の料理を、そうだ「すき焼き」にしよう――となったのだろう。
「ご飯は食べて来るんだって」。すると、もうおなかはいっぱいではないか。もてなさなくては――という思いに頭を占領されている女には、軽く酒のつまみをつくるくらいでいいのではないか――という男の「相対性理論」は通じない。「絶対性理論」で平の街中へすき焼きの材料を調達しに行く運転手になるしかない。結果は、材料が「大余り」だった。
こたつを食卓にしていつもの調子で「独酌」を、いや阿部と「対酌」を始め、ハンドルキーパーのラサロ君に「さあ、食べなさい」とすき焼きを勧めたら、カミサンが席に着くまで待つという。早速、スペインと日本の文化の違いを知った。
晩酌の時間は、日本では(というより、ほかの国にそんな習慣があるのかどうか)、単身赴任でもなければ、オクサンがつまみなどを用意して、夫がテレビでも見ながら「独酌」を始める。
ところが、スペインでは家族全員が席に着いて「いただきます」となる。昭和30年代ごろまでの日本も、今思い返せばそうだった。その後の高度経済成長と軌を一にして核家族化が進んだ。一人ひとりの箱膳と、みんなで向き合うちゃぶ台の食習慣が併存したあと、ばらばらの個食(孤食)に変わった。
わが家の晩酌は、スペインの食習慣からすると一種の「男尊女卑」に映ったのかもしれない。カミサンもあとで晩酌に加わり、私以上にしゃべりまくったのだから、実質は「女尊男卑」だが、そんなことはどうでもいいのだろう。要は、一緒に食べる、一緒に話す――が大事なのだ。
ラサロ君はディズニーのアニメ映画で英語を学習した。日本語は、多少は阿部夫人のすみえちゃんを介して親しんではいただろうが、ちゃんと学んだことはない。が、英語、日本語、阿部によるスペイン語の通訳で、ほとんど違和感なくコミュニケーションが取れた。
耳がいいから言葉をまねることができる。記憶力がいいからその言葉が残る。繰り返せば自分のものになる。あっという間に日本語の語彙を増やしていく姿を目の当たりにして、秀才・天才というのはやはりいるのだなと舌を巻いた。
27歳。職業は「アート&デザイン」。コンピューターを駆使して、いまはやりの「3D」で大きな倉庫のデザインなどを手掛けている。猫が大好きだという。わが家の猫をかまうしぐさからして、それがよく分かった=写真。
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1 件のコメント:
はじめまして。グラナダに住んでいます草野と申します。ラサロ君が阿部さんと一緒で安心しました。
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