2010年2月6日土曜日
オニがさまよった夜
2月になると、いやがおうでも正月気分が消える。いや、意識を切り替えなくてはならなくなる。3日の節分の日のことだった。カミサンが、何日か前から言い続ける。「節分の豆まきをやらなくちゃだめだからね」
「フクハ~ウチ~、オニハ~ソト~」。それは長男の役目。二男坊だったので、これをやらずに済んだ。やろうとも思わないできた。結婚で様子が変わった。やるかやらないか、いつもカミサンともめる。今年はたまたま3日に飲み会の連絡が入った。喜んでOKした。声を出さなくて済む。
とはいえ、豆まきの準備まで逃げるわけにはいかない。3日当日の昼、スーパーで節分イワシを買った。次に、近くの「元気菜野菜市場」=写真=へ行って漬物用の白菜を買った。ヒイラギと豆がらのセットがあって、値段は100円だという。運営責任者は旧知の男性だ。「売れ残ってもしょうがないから、あげます」。喜んでちょうだいした。
山村暮鳥の書簡風エッセー「晩餐の後」を引用しながら、暮鳥とお隣さんの話を前に書いた。同じエッセーで暮鳥は節分の豆まきに関してこんなことを言っている。知り合いが豆を一握り持って来て、暮鳥に「豆をまきましょうか」と言った。「ありがたう、だが、鬼はゐませんから」とその親切を断った。
なるほど、キリスト教的には節分は意味がない。が、随分な断り方ではないか。暮鳥はそのとき31歳。私は暮鳥の若さを思った。
――これからあとは、3日夜の田町(いわき市平の飲み屋街)での話。
あるスナックに入ると、先客がいた。しばらくして交互にカラオケを始めた。私も歌った。で、ほかの人たちの歌を聞きながら、おかしな気分になった。〈きょうは節分、ここには家を追い出されたオニたちがいる〉。そのうち、別のオニが逃げ込んで来た。
わが仲間も、私も、豆をまかれて田町に迷い込んだオニたちではないか。節分の夜に田町で酒を飲んでるような男はろくでもないな、と思いつつ、グラスはグイッグイッと空になるのだった。
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