2010年2月14日日曜日

グラナダへの便り


スペイン南部のグラナダから当欄にコメントが入った。発信者は草野さん。

いわき市出身の画家阿部幸洋の妻・すみえちゃんが去年9月末、急死した。訃報を10月1日に知り、すみえちゃんの思い出を書いたら、グラナダの草野さんからトメジョソの彼の自宅にお悔みの電話が入った、という。知り合いだったか。

すみえちゃんが生前、わが子のようにかわいがっていた男の子のラサロ(今は27歳の青年になった)を伴って、阿部が帰国した。平のギャラリー「界隈」で個展を開くためだ。13日にオープニングパーティーが開かれた=写真

それに先立ち、8日、二人が家へ遊びに来た。阿部からすみえちゃんのこと、ラサロのこと、グラナダでわがブログを読んでくれているいわき市内郷出身の草野さんのことなどを聞いた。2月10日のブログ「スペインから来た青年」はそうして書いた。その文章に対するコメントだった。

「はじめまして。グラナダに住んでいます草野と申します。ラサロ君が阿部さんと一緒で安心しました」

阿部は少しやせたが、ラサロがいるから、親身な大家さんがいるから、大丈夫――私はそう感じた。草野さんも同じ思いだったのだろう。

これからあとは、すみえちゃんがらみの報告。

コメントをいただいた10日の午後、喫茶&レストランも兼ねる「界隈」で「阿部すみえさんを偲ぶ会」が開かれた。30人ほどが出席した。ほぼ全員がすみえちゃんの思い出を語った。遠く離れた異国での死。みんな泣きたかった、泣く機会がなかったのだ――私はそう思った。

すみえちゃんは、阿部と結婚する前と後とでは人生観・世界観ががらりと変わった。こもごも語る思い出話から、それがよみがえった。「界隈」の前身、「らいふ」という喫茶&レストランでアルバイトをしたのが阿部と出会うきっかけだった。

すみえちゃんの弟さんが、そのころの彼女について語った。内向きで、コンプレックスのかたまりだった。「らいふ」の経営者(われらは今も彼を「マスター」と呼ぶ)も、よく食器を割っていたドジぶりを紹介した。彼女の最大の魅力はしかし、面白いと思うと肩を揺すって大声で笑うことだった。これは終生変わらなかった。

スペイン生活30年。彼女は主婦として、生活者として近所の人たちと喜怒哀楽を共にしながら、阿部のマネジャー役・通訳役を果たした。その過程で弱いもの・小さいものに対するやさしさ・慈愛の心を深めた。彼女が語る言葉の正確さがそれを物語る。

私は、「画家の妻」であると同時に、有能な「一人の文章家(エッセイスト)」となった彼女に、新聞連載を頼んだことがある。タイトルは「トメジョソの青い空」。了解をもらったが、私のずぼらさから連載は幻に終わった。

ラサロと8日にわが家へ来たとき、「すみえは何編か書いていた、それがある」と、阿部が話した。あとで原稿を見せてくれることになった。今となっては新聞連載は無理だが、なんらかのかたちで活字化して約束を果たしたい――そう思っている。

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