きのう(2月25日)は一気に気温が上がった。昼前、用事があって出かけた。遠い山がかすんでいる。なぜ? 黄砂が来るには早すぎる。が、霞がかった状況はなかなかすごい。
夕方の散歩時にも遠い山がかすんでいた。家の前の通りも視線の奥がかすんでいた=
写真。周りをよく見ると、東西南北すべての遠景がそうだ。かすんでいる。そのなかに身を置いていると、少し気持ちがあやしくなる。霞の向こうに溶け込みたくなるのだ。溶け込んでなにか、ふだんとは違ったことをしたくなるような、おかしさ。
宵にNHKテレビがニュースで伝えた。南からの暖かい空気が沿岸部の冷たい空気に冷やされて霧が発生したのだという。霞と思ったのは霧だった。霧でも霞でも構わない。「かすむ」という現象が大事なのだ。いや、春には「かすむ」世界に身を置きたい――という思いがある。
「煙霞の癖」という。「自然の風景を愛し、旅を楽しむ習性」と辞書はいう。西行が、芭蕉がそうだ。牧水も、山頭火もそうだろう。歩行神(あるきがみ)にそそのかされるような、なにかふわふわとした、人をまどわせるような気分を、「煙霞」はもたらす。山水画もそこから発したか。
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