2010年9月24日金曜日

スクーター大国


台湾へ出かけたのは同級生を主に9人。あちらでの4日間、ミニバスをチャーターしてガイド付きで移動した。9月20日は月曜日。朝、出勤時間帯に台北駅近くのホテルから台北南方の山地・烏来へむけて出発した。

赤信号で自動車は数珠つなぎになる。そのあいだを次から次にスクーターが埋めていく。ミニバスはあっという間にスクーターに取り囲まれた。信号が青になる。自動車とスクーターが一斉に走り出す。ハラハラするような距離感だ。

台湾に着いて最初に驚いたのは、暑く重く湿った空気だ。これが亜熱帯なのだと“痛感”した。二番目が、異様なほどのスクーターの多さだ。

台湾は右側通行だ。交差点で信号が赤になった。ミニバスが止まる。と、左側の対向車線で信号待ちをしている“スクーター族”が目に飛び込んできた=写真。道路を埋めるほどの台数に度肝を抜かれた。

台湾は昔から「スクーター大国」だったらしい。司馬遼太郎の『街道をゆく――台湾紀行』にこんなくだりがある。〈地下鉄がないこともあって、車道は、車であふれている。通勤や商用の移動は、多くの場合、単車がつかわれる。それらが曲芸のように車と車の間を縫い、交通信号はゆるやかにしか守られていない〉

司馬遼太郎が見た20年近く前の台北と、地下鉄が走っている今の台北とで、出勤時の風景は大差がないのではないか。スクーターがウンカのごとく現れ、クモの子のごとく散っていく。よくも接触事故を起こさないものだと感心させられた。

が、やはり事故はある。台湾南部が台風に襲われた前日、9月19日夕方、台北駅の近くを“探検“していたら、スクーター事故の現場に遭遇した。やがて救急車のサイレンが聞こえてきた。

それはともかく、台北以外の観光地、烏来はむろん、東海岸の野柳、その近くの九份でもスクーターだらけだった。警察の前に並んでいた白バイも、正確には「白スク」だった。

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