先週半ば(9月9日)、夏井川渓谷の無量庵へ出かけたら、玄関に焼酎が置いてあった。そばにあったメモから、同級生が日曜日(9月5日)に訪ねて来たことが分かった。以前、息子さんを連れてやって来たことがある。なにもごちそうをしたわけではないが、そのお礼らしい。
「壱岐」(「スーパーゴールド22」とある)という箱入りの麦焼酎が2本=
写真。飲んだことはない。家に持ち帰り、早速、いただく。「田苑」に似た黄金色、味もまろやかだ。高級品ではないか。
同級生は大手企業で営業の最前線に立っていた。夜のおつきあいが多かったようだ。日本酒であれ焼酎であれ、さまざまな銘柄がある。なかには銘柄にこだわる相手もいたろう。Aさんは○×、Bさんは△□、Cさんは×△……。で、アルコールの銘柄に詳しくなるような修羅場をくぐってきたのではないか。
だから、高級品――そう、想像したのだった。知人とこの「壱岐」で対酌したら、いい焼酎だよと言われた。やはり、なぁ。
酒と焼酎を無量庵に持って来る友がもう一人いる。幕末の歌人橘曙覧の歌に「たのしみは銭なくなりてわびをるに人の来たりて銭くれし時」というのがある。「銭」を「焼酎(さけ)」に言い換えると、わが心境になる。うまい焼酎ときてはなおさらだ。こんな置き土産をかっさらっていくキツネが渓谷にいなくてよかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿