戦後、いわきで音楽指導に情熱を注いだ故若松紀志子さん、いや先生の「お別れコンサート」が9月8、9日、先生が創設したアートスペース・エリコーナで開かれた。初日、福島高専から東京芸大に進み、ミュンヘンのオペラハウスで合唱団のテノール歌手として活動してきた、先輩の小林修さんが出演した=写真。
先生は福島高専で音楽を教えた。先輩は1期生。先生の影響で「中堅技術者」から「声楽家」へと転身した。
今年4月23日、先生が96歳で亡くなった。先輩は訃報が届いた4日後に引退した。
先輩が帰国できるのは夏だけ。最後に先生に会ったのは2010年の初夏だった。いつもこれが最後の別れになるという思いを抱いて先生の家を辞した。心の中でさようならを言いながら――。そんなことをコンサートのなかで語った。
イタリアの作曲家トスティの「セレナータ」と「最後の歌」、そして先生が「私のフィナーレの時には大好きな『マイ・ウェイ』を歌ってほしいものです」と言っていた「マイ・ウエイ」を熱唱した。
コンサートが終わったあと、出演者控室を訪ねる。会うのは2005年に開かれた先生の「卒寿を祝う会」以来だから、7年ぶりだ。「引退ですか」「そう、もういいだろう」
そのとき、突然、「マイ・ウエイ」を歌った意味が了解できた。<私には愛する歌があるから/信じたこの道を私は行くだけ/すべては心の決めたままに>。先生も、先輩も自分の道を一筋に歩んできた。先生はほほえみながらこの世を去り、先輩もまた悔いなく舞台を下りた。
だれにも最後がくる。先輩の歌を聴くのも、これが最後かもしれない。自分の役割を終えて次の世代にバトンをタッチする――そんな年齢になったことを、次への船出がきたことを、この夜の「マイ・ウエイ」は教えてくれた。
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