アンコールワットは真西を向いて建てられた。そのため、春分の日と秋分の日に表参道に立つと、建物中央の尖塔から朝日ののぼるのが見えるという。
秋分の日にはちょっと早い9月18日、ホテルへ迎えに来た専用バスでアンコールワットの夜明けを見に行った=写真。雲が垂れ込めていた。朝日は期待できない。空がほんのり赤く染まったらもうけものと思ったが、それもかなわなかった。
しらじらと夜が明けるにつれて、カエルやコオロギの仲間らしいものが鳴きだす。ツバメも頭上を飛び交う。ツバメを見て「コウモリが飛んでる」と同行の女性がつぶやいた。「ツバメです」「あらっ」「日本にも、カンボジアにも渡って来ます」。胸も腹も黒っぽい。ハリオアマツバメだろうか。
たくさんの観光客に交じりながら、思い出したことがある。4年前の春分の日、專称寺(平)の夜明けを見に行った。春分の日と秋分の日、朝日が真東から本堂を照らす――今は亡き歴史研究家の知人の言葉を体に刻むためだった。
專称寺は浄土宗の寺だ。「西方浄土」へ導く阿弥陀三尊がまつられている。その現実的な仕掛けとして、春分の日と秋分の日に太陽が真東からのぼり、真西に沈むような設計がなされたのではないか。朝は阿弥陀三尊にまっすぐ光が差し込み、夕方は三尊の背後からまっすぐに光が差し込むように――。
その連想でアンコールワットで大事なのは、朝日ではなくて夕日ではないのかと思った。観光客にとっては尖塔にのぼる朝日は絵になる。が、葬式を行うための寺院という性格を考えれば、むしろ真西に伸びる参道の延長線上に沈む夕日にこそ意味がある。
同じ日の午後、雨に降られながらアンコールワットの内部を見学した。そのまま夕刻の様子も見た。雨はやんだものの、雲にさえぎられて夕日は見えなかった。朝日は観光客を喜ばせ、夕日は遺跡の神仏たちを慰める――秋分の日のきのう(9月22日)、アンコールワットの壮大華麗なレリーフ群を思い返しながら、やはり天気が気にかかった。
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