2012年10月3日水曜日

大津波が運んだ大仏石


四倉町上仁井田の岸前というところに、大津波が運んできたとされる「大仏石(でえぶついし)」がある。3・11に津波被害を受けた沿岸部からはやや内陸に入った小高い丘の下、民家が連なる集落の一角に鎮座する=写真

9月29日にいわき地域学會の巡検が行われた。ヤマの田人(4・11余震)を巡り、ハマの久之浜・四倉・薄磯(3・11津波)を歩いた。四倉では民家の奥にある大仏石を見学した。

大仏石には言い伝えがある。昔、この地方に大津波があったとき、海からあがった石が田んぼのなかをゴロンゴロンと転がって来て、岸前のふもとでとどまった。

いわき民報が平成10(1998)年5月28日付「カメラアイ」で大仏石を取り上げている。当主がそのコピーを持ってわれら一行を迎えてくれた。それによると、大仏石は高さ1.46メートル、幅1.2メートル、奥行き0.88メートル。見た目は「彫塑のトルソ(人間の胴体)に似た、柔らかい曲線を持つ石」だ。

なぜそれが大仏石と呼ばれるようになったのか。「外見は普通の石と変わらないが不思議なことに、子供が成長していくかのように、月日の経過とともに次第に大きくなっていった」。驚いた集落の人たちがいつからか大仏石と呼んで礼拝するようになった。ほかにも戦前は子どもの成長を、戦中は戦場からの生還を祈るシンボルとして信仰された。

3・11を経験したからこそいうのだが、私たちは歴史や伝承が語る過去の自然災害に対して鈍感だった。学び足りなかった。

大仏石を見に行って納得したことがある。岸前の西にあるのは塩木という集落。塩木は「潮来」。そこまで潮(津波)が来たという伝承がある。岸前は昔、海が近くまで来ていたことを示す。一帯は仁井田川の河口からおよそ1キロ上流だ。昔はそこまで大津波が押し寄せた――それを胸に刻む巡検だった。

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