先日、いわき地域学會の巡検が行われ、4・11で被災したヤマ(田人)と、3・11で津波に襲われたハマ(久之浜・四倉・薄磯)を訪ねた。ハマでは、防波堤のそばに仮の祭壇が設けられたり、コンクリートの基礎だけになった住家のあとに花が供えられたりしているのを見た=写真。
巡検参加者におととい(10月7日)、いわき自然史研究会編『証言 2011年3月11日 いわき~伝え継ぎたい東日本大地震の記憶~』(2012年3月11日発行)を発送した。デジタル技術にかけてはピカ一の事務局次長・巡検担当のW君が来宅し、10、11月の地域学會市民講座の案内はがきも印刷し、投函した。
自然史研の冊子は①証言(60人余が3・11と4・11の体験記を寄稿)②地震被害③津波被害――の三本立てだ。体験記を投稿したので、春に冊子が届いた。今回、巡検の資料として冊子を調達し、発送したあと、遅ればせながら熟読した。
自然史研は地質学がベースの民間調査研究団体だ。地震・津波に関する考察に合点がいった。
久之浜の波立海岸にある弁天島は大地震にも姿を変えず、大津波に襲われても鳥居は無事だった。弁天島と連なる陸側の岬も変化はなかった。ほかの岬が崩落したのに無事だったのは、島も岬も硬い岩でできているからだとか。
「津波は南から来た」。体験者が口々にいう。なぜそうなのかわからなかったが、冊子を読んで納得した。
「2011年3月11日午後2時46分、岩手県三陸沖で起こった地震により津波が起こる。この津波はその後約15分(午後3時頃)で第一波がいわき市に到達する」。第一波はさほど大きな津波ではなかった。
「いわき市を通過した津波は、その後に茨城県沖で起こった地震の津波といわき市より南でぶつかり津波が増幅したと考えられる。これが第二波以降となり、第二波はいわき市に3時30分頃に到達した」
この第二波と第三波がいわき市に大きな被害をもたらした。津波が南から来たメカニズム、地形による被害の大小がようやく頭に入った。これも巡検のおかげだろう。
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