少し宣伝を。もう3カ月以上前のことだが、いわき市農業振興課が『いわき昔野菜図譜 其の参』を発行した=写真。取材・編集を担当したのはいわきリエゾンオフィス企業組合。縁があって、「壱」「弐」「参」すべての「はしがき」を書いた。このごろ、やっと3冊目の冊子をパラパラやれるようになった。安直だが、その「はしがき」です。
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群馬県の山里で暮らす哲学者内山節さんの本(『自由論―自然と人間のゆらぎの中で』岩波書店)に、次のようなくだりがある。――日照りの夏、畑をふと見たら少し大きめの石が目についた。取り除こうとして石を持ちあげると、石の下はわずかばかりの湿り気と冷たさを帯びていて、ミミズのような小動物が集まっていた。
そのとき、内山さんは「畑の石は取り過ぎないように」と言っていた村人の言葉を思い出す。畑の土はそれらの小動物がつくっている。その小動物を小石が日照りから守っている。石もまた作物をつくっているのだと、内山さんは了解する。
本書の54ページ、「一族で継承。おたまさんのえんどう豆」に似た話が載る。いわき市遠野町で、隣り合う親戚2軒がおばあさん伝来のエンドウを栽培している。「栽培地周辺は、畑に小石が多く混じっています。耕して畑にするには大変不便な土地ですが、石には日中の熱を蓄え地温を保つ働きがあります」
夏井川渓谷の小集落に小さな菜園をもっている。畑の小石には悩まされてきた。石や硬い土が伸びる根を遮るから、ときどき大根やニンジンが“たこ足”になる。しかし、気象との関係でいえば、小石もそれなりの役目を果たしている。畑の石は多くても困るが、取り過ぎてもいけないのだということを、上記二つの話が教えてくれる。
この栽培者たちのきめ細やかな観察力はどこからくるのだろう。家族に食べさせたいという愛情が原動力になっているのはまちがいない。それは昔野菜に限ったことではないが、昔野菜とは切っても切れないものだ。
その延長線上に、親子の情愛を添えることもできる。「嫁に来たばかりの頃、働きすぎから腎臓を患い、見舞いに来た実母が腎臓の薬にと言って、実家で栽培していたスイカの種を分けてくれました」(15ページ)、「嫁入りの際に、実母から小豆を手渡されました」(17ページ)。昔野菜の種子の伝播・継承に母親が重要な働きをしていることが読みとれよう。
本書にはフィールドワークの成果が満載されている。とりわけ、畑の小石にまで目が届いていることに感銘を受けた。
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いわき市暮らしの伝承郷で7月20日から9月1日まで、「いわきの昔野菜展」が開かれる。チラシには、写真で野菜を展示する、施設内の畑でも展示する、とある。ということは、実際に栽培を試みている昔野菜もあるわけだ。畑をのぞく楽しみができた。
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