2014年8月5日火曜日

平七夕まつりの起源

 明8月6日から8日まで、平七夕まつりが開かれる。平七夕まつりは仙台七夕まつりの流れをくむ。新聞報道によれば、今年はいわき市内事業所の協賛を得て、仙台の業者に七夕飾り22本を特注した。震災と原発事故で七夕飾りが減ったことから、本場の飾りを導入してまつりを盛り上げる。

 平七夕まつりの起源には諸説がある。それを、当時の新聞記事などにあたり、大正年間ではなく、昭和初期としぼりこんだのが、いわき地域学會の小宅幸一さん。同学會の会報「潮流」(2014年4月刊)に発表した論考を基に、7月19日の同学會市民講座で「平七夕まつり考」と題して話した=写真。

 江戸時代には伊達模様の派手な七夕飾りがみられた仙台だが、明治6(19873)年の新暦採用で七夕まつりが衰退し、第一次世界大戦後の不況下でますます寂しくなった。それを吹き払おうと、仙台の商人有志が七夕まつりを復活させたのが昭和2(1927)年。

 その意味では大正時代、仙台の七夕まつりは「風前の灯」だった。そうした状況下で、仙台に本店のある七十七銀行が大正8(1919)年、平支店を開業する。その開業と平七夕まつりの起源が歴史を積み重ねるなかでごっちゃになったのだろう。
 
 小宅さんが注目したのは、昭和2年の仙台の七夕復活劇だ。翌3年、仙台商工会議所などが七夕飾りつけコンクールを実施する。その流れを受けて、同5(1930)年、七十七銀行平支店が店頭に七夕の飾り付けを実施する。翌年には仙台出身の難波医院長夫人が自宅前に仙台風の七夕飾りを実施して評判になった。
 
 これに合わせて地元の動きが活発になる。昭和7(1932)年・平三町目の商店有志が中心となって七夕飾りを実施。同9年・本町通り舗装により盆行事の「松焚き」が中止になる。同10年・平商店街全体で七夕まつりを実施。同11年・平商工会、平町などがまつりを支援――となって、「松焚き」に代わる集客イベント「七夕まつり」ができあがった。

「~といわれる」「~とされている」ことを鵜のみにすることなく調べてみる。と、違った姿が見えてくる。「平七夕まつり」の歴史も、小宅さんの調査でより正確なものになった。

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