日本統治下時代、「台湾総督府農事試験場はイネの専門家である磯永吉(いそえいきち)に依頼し、日本のジャポニカ米を台湾に導入して試験的に植え付け、改良を行わせた」。
数年の努力の末、「ついに新品種の栽培に成功し、一年に二回もしくは三回の収穫が可能に」なった。新品種は「蓬莱米」と名付けられた――。
5月19日付の拙ブログ「小籠包」で、翁佳音・曹銘宗/川浩二訳『図説食からみた台湾史――料理、食材から調味料まで』から、以上のような「米」の記述を紹介した。
その結果、「台湾人が日常的に食べる白米飯も、じょじょに長粒米から『蓬莱米』に変わっていった」そうだ。
台湾には「長粒米、短粒米、もち米と世界における三大分類の米が揃っている」。多様な米食文化の豊かさが台湾の特徴だという。
さて、磯永吉である。ネットには、磯永吉(1886~1972年)は広島県出身の農学者で、「台湾農業の父」とあった。
台湾にはいろんな「父」がいる。いわき市渡辺町出身の高木友枝(1858~1943年)もその一人。「台湾医学衛生の父」といわれた。
ほかには、かんがい事業の水利技術者八田與一(1886~1942年)。「嘉南大圳(かなんたいしゅう)の父」である。新渡戸稲造(1862~1935年)は「台湾製糖の父」だ。
高木はペスト菌を発見した北里柴三郎の一番弟子で、師の指示で日本が統治していた台湾に渡り、伝染病の調査や防疫など公衆衛生に尽力した。
ついでに、もう一つ。「蓬莱米」を知ったのがきっかけで、先日のテレビのニュースを思い出した。
ニュースは日本の米価格の高止まりと、店頭での品薄感を解消するため、大手スーパーや地方のスーパーが外国産米を販売する動きが広がっている、というものだった。カリフォルニア(アメリカ)の「カルローズ」と台湾米を取り上げていた。
「カルローズ」の「ローズ」にも記憶があった。明治の末期に渡米し、大農場を経営して「ライスキング」と呼ばれた、いわき市小川町出身の人間がいる。国府田敬三郎(1882~1964年)で、彼が手がけた中粒種が「国宝ローズ」だ。
ライスキングの縁者である国府田英二さん(故人)がいわき民報に連載したものが本になった。『国府田敬三郎とアメリカの米づくり』(1988年)=写真=で、巻末に松崎昭夫東大農学部助教授(当時)ほかの特別寄稿が載っている。
その中にこんな記述がある。「国宝ローズをはじめ現在栽培されている中粒品種の多くは日本型の品種の血をひいている。(略)一九五〇年代にはカルローズが、そして一九七〇年代後半からは短稈改良品種群が普及した結果、倒伏がなくなり収量が飛躍的に向上した」
カルローズも台湾米も日本の米の親類のようなものかもしれない。ニュースをきっかけにライスキング関連の本を読み返して、そんな感想を抱いた。
1 件のコメント:
五日前の毎日新聞(朝刊)「余録」に、国府田敬三郎のことが書かれていました。
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