2025年12月10日水曜日

後発地震

                                              
 夜中に一度目が覚める。12月8日は深夜の11時15分、ユラユラ長く揺れる地震と同時に覚醒した。いやな揺れだった。

 トイレから戻ってテレビをつけると、北海道から東北の太平洋沿岸に津波警報・注意報が出されていた。

ほどなく市から貸与されている防災ラジオも、海岸や河口付近にいる人はただちに退避を――と呼びかけた。放送は何回も繰り返された。

 やがて気象庁から「北海道・三陸後発地震注意情報」が発表された。後発地震? そうだった。3・11の東日本大震災がそれだった。

 3・11の2日前、マグニチュード7.3の大きな地震が発生した。今思えば「前震」だ。そのあと、マグニチュード9.0の超巨大な「本震」がきた。「後発地震注意情報」はそれを機に新設され、今回初めて発表された。

 自分のブログでこの注意情報の運用方法について触れていないか検索したらあった。

令和5(2023)年1月に回覧網を通じてチラシを配布していた。忘れていた。後発地震の怖さを再確認するためにも要約・再掲する。

――令和4(2022)年12月16日、「北海道・三陸沖後発地震注意情報」の運用が始まった。それを知らせるチラシ=写真=が同5年1月、回覧網を通じて隣組に配られた。そこで「前発地震」と「後発地震」を知った。

本震のあとに余震がくる。これは一般の人でも承知していることだ。が、本震の前にも地震があることを、東日本大震災のときに初めて知った。

平成23(2011)年3月9日は水曜日だったが、たまたま夏井川渓谷の隠居にいて、揺れを体験した。

間もなく正午、というときに、家がカタカタいいはじめた。急に風が吹き始めたか、と思うくらいに、揺れは外からやってきた。

「地震かな」。軽い身震いのようなものがしばらく続いた。そのうち、全体が揺れ始めた。「やっぱり地震だ」。横揺れだった。長かった。

こたつで本を読んでいた。真正面の対岸は岩盤の露出した急斜面だ。県道も含めて、しょっちゅう落石がある。

地震の影響(落石)がないものか。目前の山に神経を集中した。見た目では、「崩れ」はなかった。

ラジオ(NHK)はすぐ特番に切り替わり、津波への警戒を伝え、臨海の役場に電話を入れて状況を聞き始めた。

これといった被害はなかった。それもあって、ブログをアップした翌11日、千年に一度ともいうべき超巨大地震に見舞われるとは思いもしなかった――。

 後発の巨大地震が必ず起きるというわけではない。が、起きる可能性もあるということである。

少なくともこの1週間は3・11の記憶を反芻しながら、しかしいつものように日課をこなそうと思っている。

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