2025年12月22日月曜日

木守の柿

                                
   5年前の秋に庭の柿の実について、こんなことを書いた(数字は5年分プラスしてある)。

――柿の木の下に、用済みになって25年もたつ犬小屋がある。そのトタン屋根に柿の実が当たる。車の屋根にも落ちる。「コツン」。こちらは乾いた音だ。車の屋根がでこぼこになっても困るので、止める場所を替えた。今度は「グシャッ」、もろに地面に落ちて低い音を出す――。

柿の実は、今年(2025年)は生(な)り年だった。いつものことながら、青柿のうちから落下が始まった。赤く熟してからは拾って皮をむき、浅いざるに並べて「置き干し柿」にした。

そして、いよいよ師走も後半。葉はすでに散ってない。12月15日は、見ると枝に付いている熟柿は3個だけ。翌16日には1個が落ち、1個が朝日を浴びていた=写真。

「木守の柿」ではないか! 義父の俳句を通じて知った季語である。それについても、同じく5年前に書いている。

――(私ら夫婦が住んでいる家は、平・久保町で営業していた米屋の支店)。昭和43(1968)年、義父が土地を買い、家を建てた。庭には柿の苗木を植えた(のだろう)。

舌頭で「あ・お・が・き」と音を転がせば、義父が所属していた句会「青柿会」が思い浮かぶ。

俳号は素子(そし)。三回忌に合わせて発刊した素子の句集が『柿若葉』。編集は友人に頼み、「あとがき」に代わって、「素子の句作」について小文を書いた――。

『柿若葉』を引っ張り出して拙文を読み返す。そのなかに義父の若いときの作品を紹介したくだりがある。

「木守(きのもり)の柿残照に燦(さん)として」。NHKのラジオ文芸に投稿し、入選した作品である。賞品としてもらったアルバムにこの句が記されてあった。

こんな句もあった。「うれかきにからすの来たるこくたしか」。漢字にすると、「熟れ柿に烏の来たる刻確か」。

まさにこの時期、柿の実が孤愁をまといながらも毅然として宙に浮いている。

16日に落ちていた熟柿は、皮が一部破けて中身がえぐられていた。カラスが枝に止まってつついているうちに落下したのだろうか。

秋の収穫後も、柿の木に1個ないし数個の実を残しておくのが日本の伝統的な風習と、ネットにあった。それを「木守の柿」と呼ぶ。

来年の豊作を祈りつつ、冬の鳥たちへの食料として残す意味もあったという。「きのもり」のほかに、「きまもり」「きもり」とも読むようだ。

義父の句は「残照」、冬になっても残っている柿の実にふさわしい光景だが、私が見たのは日が出て間もない早朝の柿。「木守の柿朝の日に燦として」である。

夕日・朝日の違いはあっても、葉を落とした枝先に1個、熟れ柿が残っている光景は、やはり情感を誘う。義父は、柿には特別な思いを抱いていたようである。

ついでながら、19日には朝日に照らされた1個が落ちてなくなっていた。20日には最後の1個が消えた。車も樹下に戻した。そして、きょう22日は冬至。

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