このごろは図書館へ行くと必ず「大活字本」のコーナーをチェックする。
眠りに就くときは眼鏡をはずす。寝床では、小さな活字だとぼやけて読めない。裸眼で読める本といったら、大活字本しかない。
寝床で大活字本を読む――。最近の就眠儀式である。前よりすんなり本を読み、それでいて睡魔にもスーッと誘われる。
最近は夏井いつき『絶滅寸前季語辞典・下』を読んだ。「上」ではなく、「下」にしたのは、「秋・冬・新年」の絶滅寸前季語が収められているからだ。
寒さが身にしみる今、どんな季語が絶滅しそうなのか、寝床で読み進めると、「皸(あかぎれ)」や「湯婆(ゆたんぽ)」「練炭(れんたん)」といったものが現れた。
「皸」(晩冬)の説明。「寒さで血液の循環が悪くなることによって起こる、皮膚の亀裂。『皸』と『胼(ひび)』はどう違うかというと、その亀裂の深さによる区別。亀裂の浅いものが『胼』で、出血するほどの亀裂が『皸』だと思えばいい」
そうか、私も冬になると足のかかとに「胼」ができる。寒くなる。血行が悪くなる。それを意識して、毎朝、かかとに軟膏を塗るようにしている。
「湯婆」(三冬)は「中に湯を入れて、冷たい布団のなかの身体を暖めるために使う ブリキ製や陶器の亀の子形容器」だ。
ブリキの湯たんぽは、子どものころ使った記憶がある。が、それこそ製品としては「絶滅」したのではないだろうか。
陶器製の湯たんぽは、朝ドラの「ばけばけ」にも使われたようだが、現物を見たことはない。
今、わが家にあるのはポリエチレン製=写真=で、この冬は1回使ったあと、「あったかソックス」をはいて寝ているため、常用までは至っていない。
「練炭」(三冬)。「縦長の空気穴がいくつも空いている円筒形の炭。その穴が煙突の役目をするので、火がつきやすく、しかも一定温度を長時間保てるので重宝がられた」
電気ごたつが普及する前、こたつの熱源と言えば練炭だった。木炭を使っていた記憶もあるが、はっきり思い浮かぶのは「練炭七輪」だ。七輪に火のついた練炭を入れ、下部の送風口を開閉して温度を調整した。
冬といえば、私の中ではこの3つがすぐ思い浮かぶ季語だが、江戸時代の俳僧一具庵一具(1781~1853年)を調べていて覚えた正月の季語もある。
「御降(おさがり)」。『絶滅寸前季語辞典』によると、「元日、あるいは正月三が日に降る雨のこと。雪を指す場合もある」。
一具は出羽の国で生まれ、磐城平の專称寺で修行し、幕末の江戸で俳諧宗匠として鳴らした。
『一具全集』から3句。「御降りや西丸下のしめるまで」「御降や小袖をしまぬ歩行(あるき)ぶり」「城山や御降ながら暮(れ)かゝる
句意としては、雨が降っても、雪が降っても、要は晴れていても、そうでなくても正月はめでたいのだ。そういうことだろう。
確かに、現代では「御降」といっても、ピンとくる人はまずいない。私がそうだ。
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