年金生活者なので、ノートパソコンを開いてキーボードをたたく「在宅ワーク」がすっかり常態化した。震災と原発事故のあとは散歩も控えるようになった。
震災前は朝晩、夏井川の堤防をグルッと回って戻る散歩を日課にしていた。けっこうな歩数になった。
ところが、未曾有の災厄に不整脈が亢進し、薬を飲むようになった。5千歩、1万歩といった散歩にストップがかかった。
歩かないと足は衰える。かかりつけ医や薬剤師の話を参考に、1日1500歩は歩くように心がけている。近所のコンビニまで毎日2回行くと、このくらいの歩数になる。
歩行を意識しているからか、足の関節がどうの、脚力維持がどうの、といったテレビコマーシャルや新聞広告、チラシにはやはり目がいく=写真。
50代以上をターゲットにした広告らしいが、私には最も数が多い「団塊の世代」(1947~49年生まれ)を狙い撃ちにした広告としか思えない。
そんな機能性表示食品に頼るよりも、とにかく歩くことだと自分に言い聞かせる。修行のような散歩ではない。簡単な用は歩いてすませる。そんなウオーキングでいい。
それにぴったりなのが、総合図書館が入居しているいわき駅前の再開発ビル「ラトブ」だ。
4~5階に図書館が入居している。館内を歩いて本を探す。帰りはエスカレーターを利用して1階まで下り、さらに地下2階の駐車場まで階段を利用する。この「ラトブ散歩」は1回で目安に近い歩数になる。
頭ではいつも「フレイルの悪循環」が点滅している。わかってはいるのだが、日中はどうしても「だるま」になってしまう。
長時間あぐらをかいてキーボードをたたいていると、足の血行が滞るのか、しびれるような、重いような感じになる。そんなときには自然と「貧乏ゆすり」が出る。
災害が起きたとき、避難所で何もせずにいると、エコノミークラス症候群になる。その前症状のようなものだろう。
足のしびれ・重さを解消するために、自然と足をゆすっている。おそらく生理的に「貧乏ゆすり」が出るのだ。
車を運転しているときもそうだ。左足は「足置き台」に固定したままなので、時間がたつと重く感じることがある。すると、いつの間にか左足を揺すっている。
「貧乏ゆすり」はむしろ血行促進には必要なのではないか。あれこれ検索すると、「貧乏ゆすり」という言葉がよくない、「健康ゆすり」というべきだ、という専門家の意見に出合った。
大賛成だ。体が自然と「貧乏ゆすり」をするようになって、なぜだろう、「貧乏ゆすり」は否定するものではないな、そう思い始めていたので、「健康ゆすり」と呼ぼうという意見には大いに納得した。
医学的には「ジグリング」というそうだ。いすに座ってやるのが基本のようだが、あぐらをかいたまま足を揺すっても効果があるのではないか。軽い散歩と健康ゆすり。これならなんとか続けられる。
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