令和7(2025)年度は事業団が担当した磐城平城発掘調査の成果を発表する意味もあってか、文学館では「吉村昭と磐城平城」、文歴では「磐城平藩と勿来関」と題する企画展が開かれた。
考古資料館では文字通り磐城平城の発掘成果を披露する企画展が連続2回開かれた。
文学館と文歴の場合は文学×考古(歴史)の学際展示である。私は最初、「文学館でなぜ発掘の展示を?」といぶかったが、磐城平城の落城などが描かれた吉村昭の小説『彰義隊』と融合させた展示内容と知って納得した。
ならば、である。詩人山村暮鳥を軸に、いわき地方に新たな近代詩の潮流が生まれた大正期こそ、学際展示にふさわしい。
いわきの「暮鳥圏」には三野混沌(吉野義也)、猪狩満直、草野心平、そして散文の吉野(旧姓若松)せいがいた。暮鳥圏を考えるとき、いつも「文学地理」という言葉が思い浮かぶ。
心平自身、昭和45(1970)年8月号の詩誌「歴程」三野混沌追悼号に、混沌らとの関係について述べている。「猪狩の川中子と三野混沌の好間と自分の上小川と、ひょろ長い三角形になる」
「川中子」は「かわなご」と読む。平市街の北を流れる好間川と夏井川にはさまれた好間地区の東端で、満直はそこで生まれた。
「好間」はせいの『洟をたらした神』で知られる、混沌とせい夫妻の開墾地・菊竹山を指す。
そして「上小川」は、平、好間からは夏井川の上流に位置する現小川町の旧村名だ。
このひょろ長い詩の三角形の底辺は平市街と接続している。日本聖公会平講義所に大正元(1912)年秋、牧師として暮鳥が着任する。そこから心平のいう詩の三角形が生まれた。
いわきの近代文学は暮鳥から始まる。いわきの暮鳥を知るには、いわきの風土を、歴史を、地理を知らないといけない。というわけで、「場所の文学」として作品をチェックしたことがある。
『洟をたらした神』は「菊竹山の文学」、満直の『秋の通信』は「内郷村小島の文学」。心平の詩「故郷の入口」はそれこそ「暮鳥圏の文学」そのものだ。文学地理的な視点が作品の理解を深めてくれる。
心平記念文学館では師走に企画展「小川町の歴史と文化~心平のふるさと~」が開かれる=写真(リーフレットから)。
心平の詩に出てくる「長い竹藪」は令和元年の台風のあと、復旧・復興工事であらかた消えた。「上小川村」に出てくる「ブリキ屋のとなりは下駄屋。下駄屋のとなりは……」の町並みも実証したらおもしろい。
心平の弟、天平の絶筆にある「新川という沼」や「夏井川に繋がる小川」も知りたい。天平の長男の杏平氏は沼(大小二つあった)で泳ぎを覚えた。小さい沼は釣り専門だったという。
単なる小川町の「歴史と文化」ではなく、それをベースにした心平・天平の文学地理であってほしい。
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