夏井川渓谷は、上流のいわき市川前町から下流の同小川町までおよそ15キロ。その真ん中付近にわが隠居がある。いわき市の中心市街地・平からは距離にしてざっと20キロ、車で30分圏内だ。
隠居ではプロパンガスを使っている。ボンベの交換は川前の店に頼んでいる。隠居へやって来た店主と茶飲み話になった。
谷間を磐越東線と県道小野四倉線が走る。それからさらに山の奥、鬼ケ城山(887メートル)の中腹に「いわきの里鬼ケ城」がある。鬼ケ城の広大な敷地内にはキャンプ場、コテージ、レストハウス、グラウンド、山里生活体験館などが配置されている。高原の澄んだ空気と景色を堪能できる。そこへなんとか人を呼び込みたいのだが……。
市民の一般的な“心理”はこうではないか、という話をする。同じ川前でもV字谷から鬼ケ城までは山を駆け上がって30分かかる。中心市街地からだと1時間だ。30分圏内ではあれこれ考える前に着くので苦にならないが、1時間となれば出かけるのに“覚悟”がいる。行くとしてもせいぜい半年、あるいは1年にいっぺんくらい――私の経験も踏まえて正直に感想を述べた。
かつて、川前側の渓谷に直売所「山の食。川前屋」があった。店主はそれにも関係していた。
川前産の野菜や山菜・キノコ、加工食品などを売っていた。春から秋まで週末に開店し、それなりににぎわっていた。隠居からは10分ほどで、よく利用した。季節の野菜のほか、梅干しやみそ漬け、キノコなど「川前の味」を買い求める楽しみがあった。
先日、カミサンが自宅の階段の本を整理していたら、11年前(平成18年)に小学生がつくった「川前屋」の“ガイドブック”が出てきた=写真。表紙を含めて8ページ。川前屋の場所や開店日、スタッフ、扱っている品物、川前の四季などが紹介されている。「川前屋に来てね!」。子どもなりに川前屋を応援する手づくりの冊子だった。
その川前屋も震災後は客足が遠のき、閉鎖された。今は建物も解体され、晩秋に紅葉のライトアップが行われたことも忘れられつつある。
川前が隣の川内村のように独立した自治体であれば、とよく考える。そこが「中心」だから、あれこれ本気になって生き残り策を考える。ところが、合併して「いわき市」に飲み込まれた結果、「中心」に対する「周縁」、全体のなかの一部、という位置づけに変わった。
茶飲み話をした日から3日後、小川町と川前町の商工会が合併するというニュースが新聞に載った。川前から申し入れたという。その件に関してはひとことも話していなかったので、驚いた。
「定来人口」の増加をめざしていろんな手を打ってはいるが、なかなか実効が挙がらない。少子・高齢化の時代の波に原発震災が追い打ちをかけた――それが「周縁」の現状なのだろう。
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