きのう(10月8日)、臨時の「磐越東線全線開通100周年号」が郡山―いわき間を往復した。郡山発10時22分のいわき行きは正午過ぎ、夏井川渓谷の牛小川踏切付近を通過した=写真。直後に磐東線と並行する県道を川前から小川方面へと駆け下ってくる車が相次いだ。県外ナンバーがほとんどだった。
磐東線は大正3(1904)年、最初に郡山―三春駅間が開業する。以後、郡山といわき側から少しずつ営業区間を伸ばす。いわき側は小川郷駅、郡山側は小野新町駅の間、夏井川渓谷の難工事を経て全線が開通するのは同6年10月10日。あしたで満100年だ。この区間に川前駅と夏井駅が新設された。今は小川郷と川前の間に江田駅がある。元は信号所だった。
100周年号はディーゼル機関車2両、旧型客車4両の6両編成だ。チョコレート色の客車には“乗り鉄”、沿線には“撮り鉄”――。
わが家を車で出て小川町に入ったとき、中学生らしい男の子が三脚を持って道を歩いていた。何を撮るんだろう、野鳥かな? 渓谷の手前、磐東線の高崎桟道橋(空中鉄橋)が見えるあたりに、脚立を立ててカメラの位置を確かめている人がいた。カミサンが「お昼ごろ、磐東線100周年の記念列車が通るみたい」というので、了解した。少年も“撮り鉄”だった。
川前駅前ではこの日、「秋の川前まつり」が開かれた。新聞とフェイスブックで知り、川前の商店主からも聞いていたのを思い出す。イベントへ出かける時間的な余裕はなかった。代わりに、100周年号の“にわか撮り鉄”になる。
いわき発郡山行きは午後3時ごろ、牛小川を通過する。近くの線路そばに立っている“撮り鉄”が言っていたので、今度は山側から狙うことにした。踏切を渡ると、山際の家の前に見知った住民と家族がひとかたまりになっている。知人の母の一周忌を終えて帰宅したばかりのようだった。
磐東線全通100周年号をみんなで歓迎しようということになって、日の丸やミニ鯉のぼりまで用意したのだという。踏切の警報機が鳴って点滅し、列車が現れると、旗を、のぼりを、手を振って応えた=写真。近くの田んぼで稲刈りをしていた知人たちも、しばし手を休めて100周年号を見送った。
渓谷の住民にとって磐東線はなによりも通学の足だった。踏切事故で亡くなった人もいる。昭和10(1935)年10月27日の宵には、集落の近くで12人が死亡し、50人が負傷する脱線・転落事故が起きた。アカヤシオの花が咲く春と、紅葉の秋には列車に乗って行楽客がやって来た。そんなもろもろの思い出や歴史がからまって、日の丸を振ろうとなったのだろう。
写真は下手でも、磐東線全通100周年にふさわしい瞬間に立ち会うことができた――満足して隠居へ戻りかけると、今度は小川から川前方面へと県外ナンバーの車が駆け上がってきた。八王子・水戸・山形・新潟……。これに、県内の福島・郡山、もちろんいわきナンバーも。谷あいの里はこの日二度ばかり、人と車でにぎわった。
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